春季(4・5・6月)、秋季(10・11月)の季節限定公開では、境内の一般拝観されている。
初代鎌倉公方足利基氏(尊氏の四男)が、初代将軍足利尊氏邸宅跡に尊氏の菩提をとむらうため、建長寺38世古先印元(正宗広智禅師)を開山に迎えて建立したと伝えられる。基氏は、10歳で鎌倉公方となり、南朝を抑え、尊氏死後は八代当主新田義貞の子新田義興を滅ぼした。
本堂には、「開基像 足利尊氏像」と「開山像 古先印元像」が祀られている。
「足利氏の手厚い保護をうけ、五山十刹につぐ関東諸山第1位の寺として栄えた。七堂伽藍も整っていたと伝えられる。長寿寺は足利氏菩提寺の1つとして毎年2月鎌倉公方の参詣があった。しかし鎌倉公方の滅亡、室町幕府の衰退とともに寺勢は衰え、江戸時代には建長寺の塔頭的な存在になっていた。」(※)
奈良県の古刹忍辱山円成寺より、室町時代に建立された多宝塔を大正時代に改造移築したものです。内部には、木造聖観音立像と仏像が祀られている。
境内裏山には尊氏の違髪を埋葬したお墓がある。
足利尊氏は、暦応元年(1338)には光明天皇から念願の征夷大将軍の地位を授かり、初代将軍となった。その後、尊氏は南北朝の紛争などの軍事を高師直に、政務は副将軍の足利直義に任せていたが、ふたりは次第に対立を深めた。