「徳川家光は、参勤交代の制度化、キリシタン弾圧の強化、「鎖国」体制確立などにより、幕府の体制を盤石なものとした立役者。二代将軍徳川秀忠の次男であった家光は生まれつき小心で無口。母・お江(於江与)は利発な三男の国松(忠長)を溺愛し世継にと考えていたが、家光に忠実だった乳母・春日局が家康に家光世嗣を直訴。それにが家光応じて家光の将軍継嗣が決定した。」(※)
日光山内でいちばん大きいとされている二天門(国重要文化財)。表側に、四天王のうちの持国天と、あまのじゃくを踏みつけた広目天の二天をまつっていることから、この名がある。裏側には、赤い雷神と、青い風神が見られる。雷神の手の指が3本なのは、過去・現在・未来を表し、風神が4本なのは東西南北を表現している。
左右に鐘楼と鼓楼があり、周辺に33対66数基の灯籠がある。灯籠は唐銅製で、10万石以上の諸大名から奉納されたもの。その先が夜叉門で、4体の夜叉をまつる。夜叉の体の色は、それぞれ東西南北を表している。夜叉門は、牡丹唐草の彫刻で飾られていることから、牡丹門ともいわれている。
非公開の奥院(家光の墓所)を隔てるのが皇嘉門。皇嘉門は中国・明朝の建築様式で、竜宮造りといわれている。そのため、「竜宮門」とも呼ばれている。大猷院内にあるほかの門とは、まったく異なる印象です。
唐門は中国風の門という意味。規模は高さ3m、間口1.8mで、大猷院内でいちばん小さいが、その分、細かく精巧な細工が施されていて、優美で繊細な印象を受ける。2本の柱は、ケヤキの一木で造られ、外側から見ることはできない。装飾に、メッキに黒を差した金具や、透かし彫りの金具などが使われているのが唐門の特徴である。
大猷院の建物は、拝殿・相の間・本殿が連なった、独特の建築物である。唐門を背にして内に入ると、まず広々とした拝殿に上がることができる。拝殿の奥を見ると、左右は壁になっていて、中央は幅の狭い部屋へと続いている。本殿は大猷院の本尊が安置される重要な場所だけに、手をかけた造りになっている。