「「日光の社寺」の入口で、大谷川に架かる朱塗りの橋の神橋は、江戸時代には日光に社参(参詣)する将軍と、山山で修行する修験(山伏)にのみ通行を許され、神聖な橋とされた。庶民は普段、現在の日光橋の前身にあたる仮橋を通行した。神橋の南東側の広場は下馬とよばれ、「下乗」と大きく陰刻された下乗石が立つ。ここから先は、将軍も馬から降りて参詣しなければならなかった。現在の橋は、明治35年(1902)の台風で流出後に再建されたものであるが、寛永13年(1636)に建てられた巨大な石の橋脚も現存する。」(※)
「日光の社寺」とは、日光市山内に位置する日光東照宮・日光二荒山神社・日光山輪王寺の二社一寺(世界遺産)である。
「日光の歴史は、奈良時代に勝道上人が草庵を結んだことに始まる。平安時代には空海(弘法大師)がこの地を訪れ「二荒」を「にこう」と読み、「日光」に改めたという。中世の日光は修験道で栄え、広大な寺領を有し、僧坊が建ち並んだ。徳川幕府が開かれると、家康の信任が厚い天台宗の僧・天海(慈眼大師)が貫主に就任したことで再び繁栄。家康の死後、天海(慈眼大師)は東照宮を造営した。以来、日光は徳川幕府の精神的なよりどころとなる。」(※)