ゆかりの地
寛永5年(1628)、徳川光圀は徳川頼房の三男として、水戸城下にあった家臣・三木之次の屋敷で生まれた。母は頼房の側室・久子。頼房は久子が懐妊したことを知ると、2度までも堕胎を命じたといわれている。その理由は、ほかの側室に遠慮したともいわれているが真偽は不明だ。しかし三木之次の計らいで、久子は2度とも密に出産したのだった。元和8年(1622)に生まれた子は長男に当たる竹丸(のちの頼重)、そして2度目に生まれたのが長丸、のちの光圀である。
水戸藩初代藩主徳川頼房が寛永6年(1629)に三代将軍徳川家光からこの地を賜って、水戸藩徳川家上屋敷と庭園を造営、次の水戸藩二代藩主徳川光圀のときに完成した。