スタート地点の二宮駅南口に「ガラスのうさぎ像」が建っている。少女の胸に父の形見となったガラスのうさぎを抱えている銅像は、見る人に平和の尊さを伝えている。
吾妻山公園へは、北口から二宮町役場前を通って約5分で公園入口に着く。ここから山頂まで、勾配の急な階段約300段がとても辛く、ほとんどの方は何度も休憩しながら登っていた。階段の途中には、休憩用のベンチがあり、マイペースで登ることができる。
太平洋戦争終結直前の時、目の前で父を失った12歳の少女が、その悲しみを乗り越え、けなげに生き抜く姿を描いた戦争体験記「ガラスのうさぎ」は、国民の心に深い感動を呼び起こし、戦争の悲惨さを強く印象づけた。
吾妻山公園の1月は、登り道で見かけるスイセンと、頂上付近では菜の花を楽しむことができる。
「浅間神社の祭神は木花咲耶媛、二宮町上町地区の祭神で土地の人には、浅間さんとして親しまれ本社は富士浅間神社です。今からおよそ800年の昔、初代将軍源頼朝が富士の巻狩りを催した時、曽我兄弟は父の仇、工藤祐経を討取りました。この時姉の二宮の花月尼は、その成功を富士浅間神社に祈りました。花月尼は大願成就に感謝の意をこめて自分の住まいの前のこの山上に、浅間神社をまつったと言います。」(※)
「吾妻山 菜の花ウォッチング」というイベント開催中のこの日、頂上の展望台や芝生広場は大勢の花見客やカメラマンでにぎわっていた。満開の菜の花と真白い富士山の写真を撮る人の多いこと!
園内には「ローラー滑り台」や「フィールドアスレチック」など、家族連れで楽しめる施設もある。
関東の富士見百選の吾妻山公園は、箱根・丹沢・富士山はじめ360度の大パノラマ。4月のサクラ、4月下旬~5月上旬のツツジ、8月のコスモス、1月~2月の菜の花など、四季折々の花の名所でも知られる。
吾妻山公園から一旦、二宮駅に戻り、国道1号線で大磯方面に向って歩き、二宮駅から六所神社まで、約30分で着いた。ここ六所神社からは、平安時代の男女神像(1本造りで彫眼、彩色仕上げで、見事な背刳りの立像)が発見されている。
崇神天皇の御代の創建。当初は石神台に祭られていたが、奈良時代のはじめ養老2年(718)に現在地に遷ったと伝える古社で柳田大明神とも言われる。相模国一宮(寒川神社)から4之宮、平塚八幡宮の五社の分霊と主祭神である柳田大明神を併せて祀り、相模国総社「六所神社」とされる。
六所神社手前にある宝積院は、奈良時代、僧行基の創建と伝えるお寺で、境内のカヤは樹齢300年以上、直径20mにおよぶ傘形の樹冠を形成する大木です。
国府本郷に入ると、東海道の記憶を伝える「 国府本郷の一里塚」が標識がある。この一里塚は、日本橋から17番目と数えられる。(実際はここより約200m江戸寄りに位置して、東海道をはさんで左右一対が存在していたといわれている)。
切通バス停のそばの大磯城山公園は、元三井財閥総本家の別荘地があった歴史ある公園で、横穴古墳群、大磯町郷土資料館 、展望台、小淘綾の滝(こゆるぎのたき)、ふれあいの広場、もみじの広場、茶室「城山庵」などがある。
北蔵ギャラリーは、三井家の本館裏に大谷石を使用した蔵が昭和16年(1941)に完成された建物です。
茶道大興の祖である千利休門下の織田有楽斎(織田信秀の十一男)の草庵の成るところの、茶室「如庵」は、元和4年(1618)に京都、建仁寺塔頭正統院に建造される。その後、明治42年(1909)東京の三井邸宅に移され、昭和11年(1936)国宝建造物の指定を受け、戦火を逃れるため、昭和13年(1938)に三井別邸城山荘(現、大磯城山公園)に移築された。その後、昭和45年(1970)愛知県犬山市有楽苑に移建され、現在に至っている。
城山庵は、茶室「如庵」を模して、平成2年(1990)3月に建てられた。
かってこの地にあった旧三井邸城山荘をモチーフにした大磯町郷土資料館は、「湘南の丘陵と海」をテーマに、地域の歴史、文化、自然に関する資料を集め、展示・公開している。
大正から昭和初期にかけて繁盛だったブリ大謀網に使用した船で、大船頭が乗船し、網をしめる指揮をとった。
「江戸時代、幕府は東海道を整備して松並木、一里塚、宿場をもうけ交通の便を良くしたので、参勤交代や行商、お伊勢参りなどに広く利用されました。松並木は、今から約400年前に諸街道の改修のときに植えられたもので、幕府や領主により保護され約150年前ころからはきびしい管理のもとに、立ち枯れしたものは村々ごとに植継がれ大切に育てられてきたものです。」(※)
鴫立沢交差点近くに、大磯の名所「鴫立庵」がある。中には、墓碑・句碑・記念碑などが多く建ち並んでいる。鴫立庵室の隣の俳諧道場は、明治2年(1765)三千風入庵後約70年を経て、三世鳥酔が庵の再興時、増築したものといわれている。
西行法師の歌で名高い鴫立沢に、寛文4年(1664)小田原の崇雪が草庵を結んだのが始まりで、元禄8年(1695)俳人の大淀三千風が入庵し、第1世庵主となる。現在は京都の落柿舎、滋賀の無名庵とともに日本三大俳諧道場の一つといわれる。
円位堂には、西行法師の坐像が安置されている。西行法師は、平安時代末期から鎌倉時代初期の歌人で、歌集『山家集』がある。
法虎堂は、虎御前(鎌倉時代の遊女)木像が安置されている。
鴫立庵から、大磯八景の一つ「大磯照ヶ崎海岸」へ向って歩いた。
この大磯(照ヶ崎)海水浴場は、明治18年(1885)にわが国最初の海水浴場として開設されたところ。
アオバトは、ハト科に属する緑色のたいへん美しい鳥で、関東地方には夏鳥として渡来し、4月から11月頃まで山地の広葉樹林に生息しています。この鳥が海岸に飛来して海水を飲む習性をもつことはよく知られ、全国の数か所で大きな集団による吸飲活動が見られます。(県指定天然記念物)
照ヶ崎海岸では、丹沢山地から飛来するアオバトが多く、初夏から秋にかけて、多い時には1日で延べ1000羽以上が観察される。アオバトは、ハト科に属する緑色のたいへん美しい鳥で、海岸に飛来して海水を飲む習性をもつ。
近くの北浜海岸は、毎年1月中旬に左儀長(かながわのまつり50選)が行われる。高さ8m程の柴灯や、豊漁を祈願して海側と浜側に分かれて行われ、綱引きなどの大規模な行事が有名です。
平成9年(2020)には、「大磯の左義長」として国重要無形民俗文化財に指定された。
季節を問わずサーファーで賑わいを見せることでも良く知られている。