かながわの古道50選

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花の名所100選 景勝50選 公園50選 自然
平成5年(1993)選定。神奈川観光協会発行「神奈川観光ガイド1999年版」を参考にしています。
鎌倉の切り通し(亀ヶ谷坂)
 
横浜市 川崎市 鎌倉市 三浦半島地域
湘南地域 西湘地域 県央地域
横浜市
鎌倉街道(中ノ道)の下永谷市民の森付近 mark鎌倉街道(中ノ道)の下永谷市民の森付近
横浜市港南区下永谷町~戸塚区上柏尾町( map ウォーキングマップ )
舞岡町より下永谷市民の森西端部を通り柏尾町と上柏尾町の境まで南北に古道が残る。
境木地蔵尊・こども植物園から戸塚宿へ
mark鎌倉街道(下ノ道)の餅井坂付近
横浜市南区別所3~最戸2
「廻国雑記」に餅井坂の難所の様子が詠まれている。急な坂道と百万遍の供養塔などが残る。
東海道の生麦事件跡付近 mark東海道の生麦事件跡付近
横浜市鶴見区生麦( map ウォーキングマップ )
ここで薩摩藩主の大名行列を馬に乗ったままで横切ろうとしたイギリス人一行が殺傷された。
鶴見から新子安へ
mark金沢道の能見堂跡付近
横浜市金沢区能見台森
江戸時代の名勝金沢八景の地。能見堂跡に「金沢八景根元地」の標石が残る。
文明開花の道(馬車道) mark文明開花の道(馬車道)
横浜市中区相生町他( map ウォーキングマップ )
江戸末期から明治初期にかけてかながわの”文明開化”を代表する道。
馬車道・日本大通り周辺
文明開化の道(海岸通り) mark文明開化の道(海岸通り)
横浜市中区海岸通り( map ウォーキングマップ )
江戸末期から明治初期にかけてかながわの”文明開化”を代表する道。
馬車道・日本大通り周辺
文明開化の道(中華街) mark文明開化の道(中華街)
横浜市中区相生町他( map ウォーキングマップ )
江戸末期から明治初期にかけてかながわの”文明開化”を代表する道。
関内から石川町へ
文明開化の道(山手本通り) mark文明開化の道(山手本通り)
横浜市中区山手町( map ウォーキングマップ )
江戸末期から明治初期にかけてかながわの”文明開化”を代表する道。
横浜山手西洋館散歩
川崎市
矢倉沢往還の溝口付近 mark矢倉沢往還の溝口付近
川崎市高津区溝口( map ウォーキングマップ )
物流路であったといわれる。二子の渡しからねもじり坂にかけて蔵造りの商店などに往時をしのばせる。
東高根森林公園から等覚院へ
大師道 mark大師道
川崎市川崎区大師町他( map ウォーキングマップ )
大師道は川崎宿、六郷の渡しから通じていた。道標(弘法大師の道)は、現在、境内に移されている。
川崎大師初詣で
鎌倉市
若宮大路 mark若宮大路
鎌倉市小町~由比ガ浜( map ウォーキングマップ )
源頼朝が1182年に造営した鶴岡八幡宮の参道、由比ヶ浜へと一直線の延びる。鎌倉の都市建設もこの道を中心に行われた。
逗子から鎌倉へ
鎌倉の切り通し(極楽寺坂切通し) mark鎌倉の切り通し(極楽寺坂切通し)
鎌倉市坂の下~極楽寺1( map ウォーキングマップ )
七口の切り通しは、鎌倉へ人と物との流入の急増に伴い整備された出入口であった。
北鎌倉から稲村ガ崎へ
mark鎌倉の切り通し(大仏坂切通し)
鎌倉市長谷4
七口の切り通しは、鎌倉へ人と物との流入の急増に伴い整備された出入口であった。
mark鎌倉の切り通し(化粧坂)
鎌倉市扇ケ谷、佐助
七口の切り通しは、鎌倉へ人と物との流入の急増に伴い整備された出入口であった。
鎌倉の切り通し(亀ヶ谷坂) mark鎌倉の切り通し(亀ヶ谷坂)
鎌倉市扇ケ谷、山ノ内( map ウォーキングマップ )
七口の切り通しは、鎌倉へ人と物との流入の急増に伴い整備された出入口であった。
東慶寺・長寿寺・英勝寺
mark鎌倉の切り通し(巨福呂坂)
鎌倉市雪ノ下2
七口の切り通しは、鎌倉へ人と物との流入の急増に伴い整備された出入口であった。
鎌倉の切り通し(朝夷奈切通し) mark鎌倉の切り通し(朝夷奈切通し)
鎌倉市十二所、横浜市金沢区( map ウォーキングマップ )
七口の切り通しは、鎌倉へ人と物との流入の急増に伴い整備された出入口であった。
瑞泉寺から朝比奈へ
鎌倉の切り通し(名越切通し) mark鎌倉の切り通し(名越切通し)
鎌倉市大町7、逗子市小坪7( map ウォーキングマップ )
七口の切り通しは、鎌倉へ人と物との流入の急増に伴い整備された出入口であった。
逗子から鎌倉へ
三浦半島
浦賀道の十三峠付近 mark浦賀道の十三峠付近
横須賀市田浦泉町、長浦町( map ウォーキングマップ )
保土ヶ谷宿で東海道から分かれ、六浦から浦賀まで通じた。
田浦から衣笠へ
古東海道の披露山公園付近 mark古東海道の披露山公園付近
逗子市新宿( map ウォーキングマップ )
日本武尊が弟橘姫と共に通ったという伝説の道。走水へ向う古東海道の一部と推定されている。
立石から逗子へ
mark古東海道の上山口付近
葉山町一色~木古庭
三浦半島を横断し房総半島へ渡る古東海道の一部で、中世は鎌倉道、近世は浦賀道と呼ばれた。
三崎道のなもた坂付近 mark三崎道のなもた坂付近
三浦市三崎町小網代( map ウォーキングマップ )
この坂は、新井城後北条氏に攻められたとき、身重だった三浦道寸の側室が戦火を逃れてきた場所といわれる。
油壼から三崎口へ
湘南地域
京鎌倉往還の旧相模川橋脚 mark京鎌倉往還の旧相模川橋脚
茅ヶ崎市下町屋( map ウォーキングマップ )
中世、京都と鎌倉とを連絡した道。小出川の付近に旧相模川の陸脚が残る。
辻堂から平塚へ
鶴嶺八幡宮松並木付近 mark鶴嶺八幡宮松並木付近
茅ヶ崎市浜之郷( map ウォーキングマップ )
東海道から鶴嶺八幡宮の参道には、昔ながらの松並木が残っている。
辻堂から平塚へ
東海道の押切坂付近 mark東海道の押切坂付近
二宮町山西( map ウォーキングマップ )
大磯宿と小田原宿との間の街道筋で、武士や商人たちの通行でにぎわいをみせたと思われる。
二宮から小田原へ
東海道の大磯松並木付近 mark東海道の大磯松並木付近
大磯町東小磯( map ウォーキングマップ )
かっての東海道をしのばせる大きな松並木が大磯中学校から滄浪閣の間に続く。
平塚から二宮へ
mark中原往還の中原一里塚跡付近
平塚市中原
江戸と平塚中原を連絡し、古来は奥州街道とも言われた。中原御殿跡には中原小学校が建っている。
江の島道の江の島・片瀬付近 mark江の島道の江の島・片瀬付近
藤沢市江の島、片瀬、片瀬海岸( map ウォーキングマップ )
東海道遊行寺坂から江ノ島までの間には杉山検校の道標が残る。
藤沢から長谷へ
大山道(田村通り)の四つ谷 mark大山道(田村通り)の四つ谷
藤沢市城南~寒川町一之宮~平塚市田村( map ウォーキングマップ )
東海道四ツ谷口より一宮を経て田村の渡しを渡り大山に至る。
湘南台から藤沢へ
田村の渡し付近 mark田村の渡し付近
藤沢市城南~寒川町一之宮~平塚市田村( map ウォーキングマップ )
1946~1947年頃の様子が偲ばれる岩田寛氏の画「四之宮の渡し」には、砂利採取船、相模海軍工廠跡地の工場が渡し舟とともに描かれている。
寒川神社から平塚市総合公園へ
西湘地域
足柄古道の足柄峠付近 mark足柄古道の足柄峠付近
南足柄市足矢倉沢( map ウォーキングマップ )
京都・板東間の古道。大化の改新後、大和朝廷が箱根越えとして定めた道である。
仙石から地蔵堂へ
大雄山最乗寺参道 mark大雄山最乗寺参道
南足柄市大雄町( map ウォーキングマップ )
樹齢500年をこえるスギの大木が茂り、仁王門付近からてんぐのこみちがある。
宮城野から最乗寺へ
足柄街道の松田惣領付近 mark足柄街道の松田惣領付近
松田町松田惣領地内( map ウォーキングマップ )
奈良時代より利用された京都・板東間の官道で酒匂川を渡り、秦野方面に通じる街道であったといわれる。
新松田から富水へ
矢倉沢往還の篠窪付近 mark矢倉沢往還の篠窪付近
大井町篠窪( map ウォーキングマップ )
富士見塚に、源頼朝が富士の巻狩に出かける際、馬を止める富士の眺望に見入ったという伝承が残る。
新松田から秦野へ
矢倉沢往還の吉田島付近 mark矢倉沢往還の吉田島付近
開成町吉田島地先( map ウォーキングマップ )
矢倉沢往還は松田から十文字の渡しで開成吉田島に入り現在の南足柄市関本の人馬継立場に向った。
新松田から富水へ
mark大山道の井ノ口付近
中井町北田~井ノ口
小田原より大山へ行く道として利用され中村より井ノ口を通過した。途中、”花籠の台”の伝承を残す。
mark奥山家古道の都夫良野付近
山北町都夫良野
”新編相模国風土記稿”にこの名称が載っており、付近の産業、物資の交易、生活に直桔し道である。
mark湯坂道
箱根町湯本~芦の湯
「十六夜日記」などから、鎌倉時代に箱根越えの道として利用されたことがうかがえる。精進池付近に石仏、石塔群が残る。
箱根旧街道 mark箱根旧街道
箱根町畑宿、元箱根( map ウォーキングマップ )
江戸時代の五街道の一つ。参勤交代の大名や人馬の往来が盛んであったといわれる。
元箱根から箱根湯本へ
関白道の一夜城址跡付近 mark関白道の一夜城址跡付近
小田原市早川( map ウォーキングマップ )
天正18年豊臣秀吉による小田原攻めの時代から利用されていた道といわれる。
入生田から小田原へ
mark東海道の板橋旧道付近
小田原市板橋
802年富士山の噴火で足柄峠が通行不能となり、箱根路が開通したころから整備されたといわれる。
西海子小路 mark西海子小路
小田原市南町( map ウォーキングマップ )
小田原城周辺にあった武家屋敷跡を通る道。当時の屋敷は姿を失ったが、一戸一戸のゆとりある広さや屋敷周りに当時の姿。
入生田~小田原
mark熱海道の吉浜付近
湯河原町吉浜
江戸時代、ほぼ現在の国道135号を熱海道と呼んだ。徳川家康をはじめ諸大名の湯治道。江戸時代、ほぼ現在の国道135号を熱海道と呼んだ。徳川家康をはじめ諸大名の湯治道。
mark岩専祖畑道
真鶴町岩
石材業の発達に伴いその運搬道として、小松石の採石場より港まで連絡した道といわれる。
県央地域
寒川神社参道 mark寒川神社参道
寒川町宮山( map ウォーキングマップ )
一之鳥居から境内南側に至る参道で松と桜の並木が道沿いに続く。天保10年(1839)の「相中留思記略」にも松並木が描かれている。
相模国一之宮「寒川神社」
mark信玄道の三増合戦場跡付近
愛川町三増
武田信玄が小田原城の囲みを解き甲州に戻る途中、後北条氏から大敗をきした付近といわれる。
mark滝山街道と矢倉沢往還との交差部付近
大和市鶴間
下鶴間に矢倉沢往還の人馬継立場があり、また、宿として旅籠や商家が並んでいた。
当麻道 mark当麻道
相模原市当麻( map ウォーキングマップ )
小田原城や鎌倉玉菜縄から武蔵・甲州へ行く要衝の地。戦国時代の典型的な宿場町といわれる。
飯盛山から原当麻へ
mark大山道(八王子通り)の田名付近
相模原市田名
江戸中期、久所に渡しが設けられてから大山参詣にこの道が利用された。
八王子街道の四ツ谷付近 mark八王子街道の四ツ谷付近
座間市四ツ谷~座間1( map ウォーキングマップ )
江戸時代の宿場町の形態を残し庶民生活の昔をしのばせる。
かしわ台から海老名へ
大山(柏尾通り)の戸田の渡し mark大山(柏尾通り)の戸田の渡し
海老名市門沢橋( map ウォーキングマップ )
安藤広重は戸田の渡しから見た大山を錦絵に残す。
伊勢原から門沢橋へ
居合坂付近 mark居合坂付近
海老名市本郷( map ウォーキングマップ )
江戸時代の「大山道」。庶民の信仰を集める大山へ、お参りに行く旅人などは、戸塚下柏尾から東海道を離れ、この道を通り相模川を渡り大山へと向かっていた
門沢橋から海老名へ
巡礼往来の順礼峠付近 mark巡礼往来の順礼峠付近
厚木市七沢( map ウォーキングマップ )
観音めぐりに利用された。順礼峠にさしかかった巡礼親子が盗人に殺されたという伝承が残る。
馬場リハビリ入口から飯盛山へ
mark丹沢御林見廻道の煤ヶ谷付近
清川村煤ヶ谷
江戸時代、ここに幕府天領があり御林を見回る役人が通る道であったといわれる。
mark塩つけ道(八王子通)
綾瀬市
綾瀬市 六浦から八王子へ塩を運搬したと思われる道。現在では、東名高速に架かる水頭橋から南側に一部が残る。
日陰道 mark日陰道
伊勢原市( map ウォーキングマップ )
源頼朝日向薬師参詣の際、家臣達が通った道といわれる。日陰になるので”日かげ側”という意味でこの名がついたといわれる。
ヤビツ峠から日向薬師へ
大山道の宿坊街付近 mark大山道の宿坊街付近
伊勢原市大山( map ウォーキングマップ )
大山道の終点となる阿夫利神社への道。バス停大山ケーブルより追分駅まで土産屋、旅館が並ぶ。
大山ケーブルから久保へ
大山道の蓑毛付近 mark大山道の蓑毛付近
秦野市蓑毛( map ウォーキングマップ )
大山への西からの参詣者は小田原宿からこの蓑毛道を利用して登ったといわれる。
大山ケーブル~久保
mark信玄道の串川付近
相模原市緑区青山、長竹
天保7年の古絵図に、”長竹付近の信玄街道”の記録が残る。
mark甲州街道の小原付近
相模原市緑区小原
小原宿は江戸から16里のところで、街道沿いに昔ながらの家並みを一部残す。
mark佐野川往還の和田峠付近
相模原市緑区佐野川地区
陣馬山の南側を通り甲州道中の裏街道として人馬の往来が多かったといわれる。
大山道の原宿付近 mark大山道の原宿付近
相模原市城山町原宿、久保沢( map ウォーキングマップ )
古くから利用されていた道で江戸時代中期から、”大山道”として親しまれたといわれる。
橋本から小網へ
横浜市 川崎市 鎌倉市 三浦半島地域
湘南地域 西湘地域 県央地域

週末ウォーキング