「見ざる・聞かざる・言わざる」で知られた庚申信仰は、平安時代に始まる。特に盛んになった江戸期、この地に作られた庚申塔は、大山街道をゆく旅人の道標をかねていた。
陶芸家の濱田庄司は溝ノ口で生まれ、第1回人間国宝・文化勲章受賞者です。
清々しい天気の下、広い園内を散策する子供たちの長い列が見られた。
園内には、遺跡上の芝生広場をはじめ、古代植物園・湿生植物園・自然観察広場などがあり、湧き水を利用した谷戸田も復元されており、散策をしながら往時をしのぶことができる。
湿生植物園は長さ約350m、幅は約20m、面積7,000㎡ある。この谷戸では、かって上の台地に住んでいた弥生時代の人々が稲を作っていたと思われる。湿生地を好む樹木やきれいな花が咲く草なとが植えられています。
自然観察広場の区域は、園内に飛んでいる蝶の約7割(40種)が見られる。一日中陽当たりのよい草地と、隣接する樹本があるため、草原性と森林性のタイプの異なる蝶が混在して、様々な蝶相を生み出す。
「昭和45年(1970)、神奈川県住宅供給公社が集合住宅用地として買収した土地の調査をしたところ、標高55mの舌状台地上に集落跡が確認された。発掘予備調査でこの遺跡は弥生時代後期の3世紀から古墳時代後期の8世紀に至る複合遺跡であることが判明した。確認された住居跡は62軒であるが、台地全体では100~150軒の竪穴住居があったと推測され、当時の単位集落の規模・構造を解明するうえで絶好の条件をそなえているとして県史跡に指定された。」(※)
古代芝生広場の回りで見られるシラカシ林は、県下でも珍しい自然林にちかい形で残されており、弥生人たちが住んでいた頃の林と同じといってもいい林である。東高根のシラカシ林は、本物の「ふるさとの森シラカシ林」と呼ばれ、県天然記念物にも指定されているのです。
古代植物園には、縄文時代から平安時代の衣、食、住にかかわってきた主な植物84種が植えられている。
ヤマアイ(山藍)は山の木陰に生える多年草で、生葉を摺り付けて染色する。色は青ではなく緑色で、神事に着用する小忌衣を染めた。
青空の下、フジの花が一段と綺麗であった。
明治時代に建てられた山門です。
等覚院がもっとも知られているのは、「ツツジの寺」です。仁王門から本堂にかけて、石段の両脇から本堂の周囲にかけて、丸く刈り込まれたツツジが見事であった。なかには樹齢300年を数えるという古木もある。
「神木山等覚院(天台宗)は、「神木のお不動様」とよばれ、とくにぜんそく治癒のご利益で多くの参拝者を集めている。この寺の縁起には、日本武尊の東征の際、のどのかわきをいやす泉をツルが舞いおりて知らせ、日本武尊はそこの1本の木を植えた。その木が神木とあがめられ、この地は神木とよばれるようになったとある。本尊の不動明王は智証大師円珍がその神木をきざんだという話も伝わっている。」(※)
青空の下、訪れた花見客は見事なツツジに見惚れていた。