MAZDAスカイラウンジ前でバスから降りる。半袖シャツでは多少ヒンヤリしたが、歩くには適した季節、芦ノ湖(自然)に向って車道を歩き始める。(スピードを出す車とオートバイに注意!)
富士見峠を過ぎた所に展望台(天閣台)があり、ここの展望台からの芦ノ湖、富士山の展望は素晴らしい。ただ、肝腎な富士山は雲の上に山頂を覗かせる程度だった。
「大観山(自然)は「だいかんやま」とも呼ばれ、足柄下郡箱根町と湯河原町の境にある標高1,011mの山で、箱根古期外輪山のひとつである。ここからの眺めは実に素晴らしい。芦ノ湖がすぐ目の下にあり、その海岸線を取り囲むようにして箱根の山並が続いている。さらに、芦ノ湖の向うには富士山が望め、相模湾やそこに突き出した真鶴岬、初島、伊豆大島までが遠望ができる。」(※)
駒ヶ岳山頂、乙女峠、長尾峠とともに、富士山の良い眺望地点なので、富士山を好んで描いた日本画家の大家横山大観にちなんだという。
日本の山岳中、群を抜いた高さを誇る富士山は、典型的なコニーデ式火山。いずれの方向から眺めても円錐形の均整のとれた姿は美しく、年間を通じて人々の目を楽しませてくれる。
国道1号線(関所南)手前に、「世界の花の散歩道」と呼ばれる芦ノ湖野草園がある。小高いの山には、世界各国から集められた野草の花々が一杯咲き乱れていた。
約1000種類の野草(ヤマユリは花の名所100選)の中でもクマガイソウ群生が眼に付き、そして昔北アルプスの山で見たことのあるコマクサが懐かしく写真を撮った。
往路ゴール・復路スタート地点には、箱根駅伝ミュージアム、箱根駅伝の記念碑などが建てられている。
箱根の関所といえば、特に厳しい取り締まりが行われた関所として有名だ。その厳格さを物語るエピソードがある。水戸黄門の通称でおなじみの水戸藩二代藩主徳川光圀の一行が、関所を通過した際のこと。一行は関所の番士がいったん止まるように頼んだにもかかわらず、そのままずんずんと通り過ぎてしまった。
箱根関所跡から100mほど奥に入った所に、箱根関所の歴史を教えてくれる箱根関所資料館もある。御番所茶屋前でしばらく休憩をとり、恩賜箱根公園に向った。
箱根関所資料館から直ぐに恩賜箱根公園に入って、塔の鼻、湖畔路、展望台を通り湖畔展望館に出る。広々とした公園からは芦ノ湖が一望でき、のんびりと休憩するには最適な場所であった。
湖畔展望館は、芦ノ湖の南東岸に樹林に覆われた小丘状の突出部がある。ここは明治、大正、昭和の三代にわたって皇室の箱根離宮が置かれていたところで、昭和20年(1945)11月に神奈川県へ移管され、翌21年(1946)5月に恩賜箱根公園として公開された。
明治9年(1879)東京医学校(現在の東京大学医学部)教師として招かれたドイツ人医師エルヴィン・フォン・ベルツの進言によって、明治政府が明治17年(1884)に着工し、二年後に完成した箱根離宮の跡であった。
公園の面積は約16万㎡あり、周回の遊歩道を歩くだけでざっと40分はかかる。
湖畔展望館から二百階段を下り、芦川橋(東海道で有名な三つの石橋のうち一つ)を渡って、杉並木の箱根旧街道を歩くことにする。
杉並木の箱根旧街道は多くの観光客の散歩ルートになっている。成川美術館からは、湖畔沿いの道で元箱根から箱根神社へと歩いた。
箱根山は古代から山岳信仰の中心地とされ、多くの山岳修行僧が集まってきた。箱根三所権現は、それら修行僧の1人万巻(満願)によって勧請・建立されたと伝えられる。鎌倉時代になると初代将軍源頼朝ら歴代の将軍や幕府要人の崇敬をうけ発展した。
【ツツジ・シャクナゲ 5月】
つつじ庭園は、満開のツツジを見ようとする観光客で賑わっていた。よく手入れされている3000株のツツジは、赤・白・うす紫色の花を咲かせ、訪れた人の目を楽しませてくれた。良く晴れた日には、つつじ庭園と美しい富士山が正面に見られる。
つつじ庭園は、満開のツツジの花を楽しむ人が大勢訪れていた。
岩崎小彌太男爵(岩崎弥太郎の甥)の別邸跡に建てられたホテル。敷地は4万5000坪にもおよび、ツツジやシャクナゲの香る美しい庭園が広がっている。ホテルラウンジは天井が吹き抜けになっており、ゆったりとした造りで居心地がよい。
また、シャクナゲの花も見頃であり、ここを訪れるには、5月初旬が一番いい季節です。
【秋のバラ 10月】
秋には、庭園から新雪の富士山を眺めることができる。
ローズガーデンには中世ヨーロッパの古城の片隅にたたずむ小さな礼拝堂をイメージした独立型チャペルがあり、ガーデンチャペルウエディングが出来る。