散歩コース
湯島駅(地下鉄千代田線)~ 旧岩崎邸庭園~ 湯島天神 菊まつり~湯島駅(地下鉄千代田線)岩崎久弥(父、岩崎弥太郎)によってジョサイア・コンドルの設計で、明治29年(1896)に建てられた。完成当時の岩崎邸は、15,000坪の敷地に20棟以上の建物があった。現存する3棟のうちの1棟が、木造2階建・地下室付きの洋館で、本格的な洋風建築。明治期の上層階級の邸宅を代表する西洋木造建築である。
婦人客室の天井はシルクのペルシャ刺繍で施されている。
金唐革紙は、オランダの交易船がもたらした金唐革を和紙で模造加工した擬革紙の一種である。17世紀後半期に袋物用として渋紙あるいた油紙を活用した小判の擬革紙つくりが始まり、江戸末期には浮凸文様を打ち出して、顔料・油・漆・金属箔などで高度に装飾加工したものが作られようになった。
「旧岩崎邸庭園は江戸期に高田藩榊原家中屋敷、及び明治初期は旧舞鶴藩・牧野氏などの屋敷であった岩崎邸の庭は、大名庭園の形式を一部踏襲していた。本邸建築時に広大な庭に芝を張り、庭石・灯籠・築山が設けられた。建築様式同様に和洋併置式とされ、「芝庭」をもつ近代庭園の初期の形を残している。」(※)
【2009.11.7 田中健さんのケーナ(縦笛)のオータムコンサート】
「俳優として幅広く活躍の田中健さんのケーナ(縦笛)のオータムコンサートが、重要文化財の旧岩崎邸庭園で開催された。田中健さんとケーナとの出会いは、「26年前、南米への旅行中、マチュピチュという空中都市に近いところで、たそがれ時にどこからともなく聞こえくる笛の音、それがケーナでした。音色はアンデスの微風のように明澄で、時には軽快に時には愁いに満ち、人々の魂をふるわせます。」」(※)
洋館と結合された和館は、書院造りを基調にしている。完成当時は建坪550坪に及び、洋館を遥かにしのぐ規模を誇っていた。施工は大工棟梁として、政財界の大立者たちの屋敷を数多く手がけた大河喜十郎と伝えられている。玄関近くに構えた書院造りの広間には、明治を代表する日本画家・橋本雅邦作といわれている障壁画が残っている。
撞球室(国重要文化財)撞球室もジョサイア・コンドルの設計で、木造ゴシック様式のビリヤード室である。
【菊まつり 11月】
「湯島天神の祭神は菅原道真で、縁起によると、南北朝時代の文和4年(1355)に、湯島の郷民が悪夢をみて、古松の下に祀ったのが始まりで、文明10年(1478)に大田道灌が京の北野天満宮を勧請し、荒廃した社殿を再興したと伝えられる。
「湯島天神菊まつり」は、晩秋の東京を彩る風物詩。狭い境内には、さまざまな工夫をこらした菊の展示がなされ、訪れる人の目を引く。1本の軸から数百の花を咲かせる千本咲は、明治からの伝統を誇る職人技の結晶で、参集殿に花壇がある。
花弁が管状になっているためこの名で呼ばれ、花の中心部が茶筅状と盃状になるタイプがあり、品種の特徴が表れていることが求められる。外側に長い走り弁があり、花芯を囲んで段々になる抱え弁の先端が固く玉巻きになっている繊細な美しさが命である。
厚物の花の下部に長い花弁(走り弁)が放射状についたもので、走り弁がある分花が大きく見えるので人気がある。走り弁は袋状で先が尖ったものを剣走りと呼び、良い花とされている。
前年の11月頃から冬至芽を育て、摘芯を繰り返して枝数を増やし、1本の苗から中心の1輪より1段毎に6輪ずつ花を増やし、250~400個の花を咲かせ全体で1厘の花のごとくくみ上げる。沢山の花を、同じ大きさに、同時に咲かせるのが腕の見せ所である。
「湯島天神菊まつり」で注目したいのは本殿と参集殿を結ぶ渡り廊下を中心に飾られる「懸崖作り」。菊は見上げる角度で勧賞するチャンスはほとんどないので是非見ておきたい。
境内では、NHK大河ドラマ「天地人」の菊人形が華やかに飾られていた。
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