用水沿いの桜は昭和33年(1958)、地元有志の手で植えられた。今では宿河原の取入れ口からおよそ3km、両岸に続く四百本あまりの桜並木が保存会の人々により守られている。
水辺の環境や散策路が整備されているので、階段護岸から水辺に降りて、水に触れて楽しむことができる。
仲乃橋近くに、宿河原堤桜保存会の記念碑「桜」と、平成17年(2005)には国土交通省から大賞部門で表彰された「手づり郷土大賞碑」が建っている。
二ヶ領用水は全長32km、60カ村の水田2007町歩をうるおした、県内でもっとも古い人工用水です。徳川家康に登用された代官小泉次太夫が、慶長2年(1597)から1611年までの年月をかけて完成させた。その後伊奈忠治、田中丘隅によって整備・改修が行われた。
「八幡下圦樋(はちまんしたいりひ)とはこの二ヶ領用水の水を堰止め調整したものである。当時の工事請負人関山五郎右衛門という人により明治四十三年四月に完成した。
その昔(年号不明)、現在の宿河原二丁目二十四番地(宿河原幼稚園)附近を起点に東は高津区宇奈根まで多摩川の旧堤防が築かれていたが、洪水により下流の水害を防ぐためにここに圦樋を造り、その上流三十米の八幡堀より多摩川に放流して水を調整したものである。」(※)
五ケ村堀は、この地点で本用水と立体交差をし、堰方面の田畑を潤す。北原白秋の多摩川音頭で有名な「堰の長池」から多摩川に通じ、排水路の役割を果たした。
稲荷橋近くの宿河原稲荷神社の境内、青空に映える桜が綺麗です。
この石碑に刻まれたいる物語は、我が国古典の代表的なづ随筆作品といわれる『徒然草』の第百十五段だある。「宿河原しゆくがはらといふ所にて・・・」という書き出しで始まる。
今日は近くの幼稚園児が仲良く散歩していた。
分水装置は、二ヶ領用水から同心円上(中心部)へ送水されてくる流量が変わっても、分水比が変わらない定比例分水装置の一種で昭和16年(1941)に造られた。久地円筒分水により久地堀、六ヶ村堀、川崎堀、根方堀の4方向へ、一定の比率で正確に分水された。
神社の創立年代は定かではないが、風土記には「赤城社、村の南の丘にあり、此所鎮守にり。社二間に一間半東南向、前に石段あり、木の鳥居を立てり。祭礼6月19日、村内浄元寺持」と記されている。江戸時代、本社とする溝口神社と兄弟神と伝えられている。現社殿は、昭和41年(1966)10月に再建されたものです。
溝口神社の創建年代等は不詳ながら赤城神社と称して溝の口村の鎮守社だったといい、明治維新後、伊勢皇大神宮よりから分霊を勧請して祭神を天照皇大神に改めて、溝口神社と改称した。
親楠は推定樹齢300年以上と云われる、溝口神社御神木の一柱である。親楠の名称は、この楠の種子が境内に散布し、子楠の誕生を齎したことに由来する。
子楠は親子の関係があることから、子楠と親しまれ、子供の成長を見守る御神徳があると云われている。