JR藤沢駅から繁華街を通り抜け、奥田公園から新林公園に向った。
新林公園は湿性植物園、里の広場、冒険広場、古民家があり、そして公園内の 自然散歩路を登ると藤沢市街地の展望がある。子供達と一緒に、自然観察を楽しむことが出来る素晴らしい公園です。
江戸時代天保12年(1841)に棟上された建物で、市の文化遺産として、昭和58年(1983)に新林公園内に移築された。寄棟造の茅葺屋根、土壁、石基礎で土台は栗が使われている。小池家の先祖は、初代将軍足利尊氏に伝え、江戸時代になって柄沢に移ったと伝えられる。
新林公園の南口にある片瀬山北公園を通り抜け、新屋敷橋手前を左折し江の島へ通じる細い道を歩く。松並木や蔵のある家など、昔の時代を思わせる江の島道(古道50選)で、片瀬小学校横と、龍口寺と江の島の分岐に、江の島弁財天道標がある。
江の島弁財天道標は、江島神社に参詣する人々の道しるべに寄与されたものと伝えられ、藤沢市内にある十余基が市重要文化財に指定されている。いずれも火成岩製。ほぼ同じ大きさの尖頭角柱型であり、多くが前面に「えのしま道」と刻まれている。
龍口寺と江の島の分岐にある道標は、三面に「従是右江嶋道」「左龍口寺」「願主 江戸麹町」と彫られている。
江の島道沿いに、龍口輪番八ヶ寺の一つである常立寺(日蓮宗)がある。
伝元使塚の五輪塔は、文久の役(1274)の翌年の建治元年(1275)、元より降伏勧告に使われ、鎌倉幕府の八代執権北条時宗の命によって龍の口(片瀬川から腰越あたり)で、斬首された杜世忠ら五人の元使の供養塔と伝えられている。
2月下旬から3月初旬、境内は「枝垂れ梅」の名所として知られている。
青空に映える梅の花が綺麗だった。
今日は好天気に恵まれ、朝早くから大勢の花見客でした。
仁王門の西側に「龍の口刑場跡」がある。
文永8年(1271)9月13日子丑の刻(午前2時)、鎌倉幕府の刑場跡であった当地で、日蓮上人は立正安国論の諌言に、この刑場敷皮石(首・座)にすえられ時、「あたかも江の島の方より満月の如き光りものが飛び来りて、役人共は眼がくらみ、この奇瑞の為ついに聖人の首を斬ることが出来なかった」と言われている。
延元2年(1337)、龍口寺の開基は日蓮の弟子日法で、日蓮法難の故地に草庵を設け、日蓮上人像を彫刻して安置したのが始まりとされる。境内に諸堂宇が建てられた。
山門には元治元年(1864)竣工し、欅造り銅版葺である。中国の故事の彫刻が彫られている。
慶長年間(1596~1615)、腰越津村の信者島村采女が土地を寄進し、池上本門寺十三世の日尊上人が日蓮宗の熱烈な信者である武将加藤清正の願いをうけいれて祖師堂(大本堂)を建立させた。その後、祖師堂は一時衰退して、天保3年(1832)に再建され、大正12年(1923)の関東大震災で大破したが、修理を施して今日に至っている。
日蓮上人は鎌倉・比叡山・高野山などで修行を積み、法華経こそが教の神髄であるとの信念をもち建長5年(1253)、故郷の清澄山の旭の森頂上で題目をとなえ、日蓮宗を開宗した。
鐘楼堂の2.6トンの大鐘は「延寿の鐘」と呼ばれている。
2月下旬、鐘楼近くにある河津桜が咲いていた。
大本堂の奥には五重塔、山の上には釈尊のご真骨を安置した仏舎利塔がある。