大倉山公園のウメ見頃
(菊名~日吉)

菊名駅(東急東横線)~大倉山公園~長福寺~綱島諏訪神社~日吉駅(東急東横線)

mark大倉山公園(おおくらやまこうえん)
大倉山記念館 右に300m
大倉山記念館 右に300m
大倉山エルム通り
大倉山エルム通り

 本像は"不滅への飛翔"と題し、1988年、ギリシャ共和国アテネ市と姉妹提携の横浜大倉山エルム通りの末永い友好善隣の街づくりを記念し、当地域を象徴する記念館への道標として建設した。

大倉山記念館
大倉山記念館

 大正時代に洋紙業で財閥をなした大倉邦彦が、細分化した当時の学問を批判し、儒・仏・道教の東洋文化を中心に西洋文化も融合させる総合的な研究機関と、人間修養の道場をかねた大倉精神文化研究所として、昭和7年(1932)に建てたものである。市民の音楽会や各種集会・展示会などに利用されている。

エントランス‐ホール
エントランス‐ホール
天井の「鷲と獅子の彫刻」
天井の「鷲と獅子の彫刻」

梅林
梅林(花の名所100選)

 大倉山公園梅林には、46種類、約220本の梅の木があり、毎年1月下旬から3月にかけて、長い期間梅を楽しむことができる。

白玉梅
白玉梅
野梅
野梅

見驚
見驚
茶青花
茶青花

白加賀
白加賀
花見客
花見客

淡路枝垂
淡路枝垂

 池の近くの見事な淡路枝垂は、訪れる花見客の目を楽しませてくれる。

淡路枝垂
淡路枝垂
白滝枝垂
白滝枝垂

白滝枝垂と淡路枝垂
白滝枝垂と淡路枝垂

池を挟んで、白滝枝垂と淡路枝垂
池を挟んで、白滝枝垂と淡路枝垂

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熱海梅園
三渓園(ウメ)
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mark長福寺(ちょうふくじ)
山門の扁額
山門の扁額
本堂
本堂

 当山は今から約四百年前、文禄元年の戦国時代の頃綱島十八騎というものがおって、その一人児島賀典(後改姓して佐々木となる)が当地に出家して僧となり浄土真宗綱島山長福寺と号し今日に及んだものである。

太子堂
太子堂
鐘楼
鐘楼

蓮如上人御像
蓮如上人御像
親鸞聖人御像
親鸞聖人御像

 蓮如上人は浄土真宗の僧で本願寺八世。幼名は布袋丸といった。蓮如が生まれた当時、本願寺は他宗に圧され衰退しており、東山の青蓮院の末寺であった。17歳で得度(出家)し、蓮如は本願寺再興を図った。蓮如は「御文」を使って布教に務めた。「御文」とは、開祖親鸞の教義を手紙形式で書き綴ったものである。このわかりやすさが民衆に受け入れられ、信者が増えていき、その後に大教団へと成長した。
 親鸞の教えは、法然の教えを一歩進めたもので、煩悩の深い「悪人」こそが、阿弥陀仏の救いの対象であるというものであった。これは仏道修行を行うにも行えない農民や地方武士の間に広まり、浄土真宗(一向宗)と呼ばれた。

mark綱島諏訪神社(つなしますわじんじゃ)
拝殿
拝殿
 当地は往昔綱島三郎信照の采邑であり、天正(一五七三年〜)の頃は近藤五郎右衛門正次を首領とする甲州武田の家臣が各々領有していた。「綱島十八騎」と聞こえし武田の家臣団は信玄に倣って信濃の国諏訪明神を深く信仰し、その境内から桜の一枝を折り、此の地に下る時、馬の鞭として馳せ参じた。
 綱島の山上に来て遠く信濃の国を遥拝し「我が武運の長久を守らせ給え、若しその験しあらばこの桜の枝に根を付かせ給へ」と念じ地に指した処、根が生じ年を経て大木に育った。将にその霊験は、小田原攻め・関ヶ原での勲功に顕れ、知行を受けて神威の顕現を報謝し、茲に慶長十年頃(一六〇五年頃)諏訪明神を勧請して当社を創建したと伝わる。(境内掲示の抜粋)

 毎年8月の最終の土日に行われる諏訪神社御祭礼は、横浜市内では最大級の規模で、たくさんの御神輿が出る。

境内社 金刀比羅宮
境内社 金刀比羅宮
境内社 稲荷大明神
境内社 稲荷大明神

map 大倉山公園周辺 ウォーキングマップ

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