ゆかりの地
平安時代末期、貴族よりも庶民に近い武士が政治権力を握るようになった。このため仏教も、貴族から庶民を対象とするものへと変化が始まった。そんな情勢で登場したのが法然(浄土宗開祖)だった。法然が9歳のとき、土地争論が発端で父漆間時国が殺害されたが、父の遺言により、仇討ちを放棄し仏門に入った。
浄土宗の総本山で、華頂山知恩教院大谷寺とよばれる。法然は、美作国久米(現、岡山県久米郡)の出身で、15歳から比叡山へ入り、出家修行生活を送ったとされる。法然房源空と名乗り、43歳で「専修念仏(南無阿弥陀仏と唱えれば極楽往生できる)」を広めようと、比叡山から出て吉水を布教活動の拠点とした。