ゆかりの地
日蓮上人(1222~1282)は鎌倉中期の僧で日蓮宗開祖。安房国に生まれ、若くして天台宗を学ぶ。長じて鎌倉・比叡山・南都・高野山などで修行し、仏法の真髄が「法華経」にあるとし、きびしく他宗を排撃したため諸宗・為政者から圧迫を受けた。
安国論寺は日蓮宗、山号は妙法華山、開山は日蓮上人、創建は建長5年(1253)。
御小庵は、日蓮上人松葉ヶ谷御小庵の霊跡で、御小庵は江戸時代尾張徳川家の寄進によって建てられたものです。
文永8年(1271)9月13日子丑の刻(午前2時)、鎌倉幕府の刑場跡であった当地で、日蓮上人は立正安国論の諌言に、この刑場敷皮石(首・座)にすえられ時、「あたかも江の島の方より満月の如き光りものが飛び来りて、役人共は眼がくらみ、この奇瑞の為ついに聖人の首を斬ることが出来なかった」と言われている。
日蓮上人は文応元(1260)年、時の鎌倉幕府に提出された建白書「立正安国論」の中で外国からの侵略を予言され、それは文永の役(1274)、弘安の役(1281)と二度の元軍の侵攻を適中した。その古戦場である東公園に当時の国難をしのび、戦闘や暴風雨で尊い生命を失った両国の戦没者の霊を慰め、世界の平和を祈るために文永の役亀山上皇銅像と共に日蓮上人銅像の建立を発願された。
日蓮上人、晩年は甲斐身延山に隠棲し弟子や信者の指導にあたったが、弘安5年(1282)9月8日病の悪化とともに身延山を出発、18日に武蔵国千束郷池上右衛門太夫宗仲の邸(現・本行寺境内)に到着し、10月13日の朝、この場所で入滅した。