亀石の手水、天井には雲龍図が描かれている。
源義経・源範頼は、文治元年(1185)、壇ノ浦の戦い(源氏vs平氏)で平家を滅ぼした。その後、義経は兄の初代将軍源頼朝に追われ、奥州藤原氏のもとに逃亡した。
令和元年(2019)、源義経・弁慶公没後830年を記念して銅像が建立された。
「文治5年(1189)4月30日、奥州平泉の衣川の高館義経堂で、藤原泰衝に襲撃された義経は自害し悲壮に最期を遂げた。その後、同年6月13日、腰越の浜の首実検後に捨てられたが、潮に乗って境川を遡り白旗神社の近く(首洗井戸)に流れつき、藤沢の里人により洗い清められて葬られたと伝えられる。」(※)
平成11年(1999)、源義経没後810年を記念し、宮城県栗駒市と藤沢市の有志の方々により「御骸」と「御首」の霊を合わせ祀る鎮霊祭を斎行し、現在の源義経公鎮霊碑が建立された。
源義経公鎮霊碑前では、毎年6月13日に源義経公鎮霊祭が行われている。
出席された氏子らが玉串を奉納された後、見学者も(私も)玉串を奉納させていただいた。
「祭神は寒川比古命、源義経公です。創建年代は不明ですが、相模国一ノ宮寒川神社を歓請しました。文治5年(1189)、義経の首実検の跡、怨霊に苦しめられた源頼朝が、首塚からほど近い亀尾山に社を建てたのが始まりともいわれています。現在の社殿は天保6年(1835)に落成し、昭和56年(1981)に社殿の腐朽により大改修が行われました。典型的な流権現造りです。」(※)
弁慶の力石は、「神石とも呼ばれ、この石に触れると健康になり病気をしない」と言われている。
向かって左に弁慶、右に義経の二基の神輿を収蔵している。
7月の「例祭・白旗まつり」では、義経・弁慶神輿渡御の町内巡幸が行われる。
5月初旬、白色の義経藤と薄紫色の弁慶藤が満開になる。藤は藤沢市の花になっている。
境内にある「江の島弁財天道標」には、正面に「えのしま道」、側面に「一切衆生」「二世安楽」と刻字されている。又、「寛文5年庚申供養塔」の中央上の梵字は釈迦如来。猿像の脚ぼその彫刻は江戸時代初期のもので、いずれも藤沢市指定有形民俗文化財の指定になっている。
白旗神社の南方、「白旗交差点」近くに源義経首洗井戸が残されている。
義経の首は藤沢の里人により、この井戸で洗い清められて葬られたと伝えられる。
常光寺は浄土宗、山号は八王山、鎌倉光明寺の開祖良忠(記主禅師)が寛元3年(1245)に創建されたと伝えられている。
常光寺の樹林は、市指定天然記念物になっており、中でもカヤの大木は幹がまっすぐに伸び、中ほどから大きな枝を四方に張り出した巨木で、樹勢も旺盛で堂々としている。(かながわの名木100選)
塔身正面に「萬治二年」「己亥正月吉日」の造立年記があり、下部に十三名の造立者名が陰刻されている。(市指定有形民俗文化財)
寺の南側の公園から、少し階段を上がった所に武蔵坊弁慶を祀る石碑が建っている。
問屋場では問屋(責任者)や年寄(補佐役)の指示のもとに、人馬と荷物の割り振りや賃銭の記録、御用通行の武家等の出迎え、継飛脚(公用書状の逓送)などが行われました。