毎年10月12日から15日まで、「光明寺のお十夜」で知られる十夜法要が行われ、大きな宿坊は関東一円から集まってきた信者たちでにぎわう。
開基は四代執権北条経時、開山は法然上人の孫弟子然阿良忠(記主禅師)である。この寺の前身は、経時が、鎌倉にはいって浄土宗の布教につとめていた良息のために、仁治元年(1240)佐助ヶ谷にたてた蓮華寺である。
山門は関東地方の寺のなかでは最も大きいものである。
山門の扁額「天照山」の文字は、後花園天皇の直筆と伝えられる。
「この地に光明寺が移転するのは鎌倉幕府滅亡以降、南北朝になってからのことと推定されている。中興の祖は8世の親善祐崇といわれる。親善上人は後土御門天皇の命令で清涼殿で法要を行ったので紫衣を許され、勅願寺となって、関東総本山として十夜法要を行うようになったといわれる。江戸時代には、徳川家康が定めた浄土宗学問所の関東十八壇林の制のなかで、首席の江戸の増上寺についで次席の地位にある。」(※)
現在の建物は、弘化4年(1847)に再建されたものである。
善導大師は中国唐代に活躍された浄土教の高祖とされる。浄土教の宗祖法然上人は善導大師の教えに導かれて浄土宗を開いた。当時の御開山良忠(記主禅師)も大師を敬い、修業時代から大師と深く心の結びつきを持たされていた。
【ハス 7月】
庭園は浄土宗庭園で記主庭園とも呼ばれ、小堀遠州の作と伝えられている。
夏には、ハスの花が咲く名所になっている。
記主庭園奥の木造二階建ての大聖閣は、法然上人800年大遠忌を記念して建てられた。
三尊五祖の三尊とは、極楽浄土の阿弥陀仏とその脇士たる観音・勢至の二大菩薩を表し、五祖は浄土教を説法流布された釈迦(印度)・善導大師(中国)・鎮西・記主禅師(日本)の浄土宗五大祖師を示す。この三尊五祖が、庭園の中に石で表現されている。
光明寺の背後の山を総称して天照山です。天照大神の尊像を開山良忠(記主禅師)得せられたのをもって、その名を付せられたといわれている。
本堂裏に開山の記主禅師をはじめ歴代住職の墓所と、開基である北条経時公(法名 蓮華寺殿安楽大禅定門)の墓所がある。
本堂横の網引延命地蔵から、天照山・景勝展望台へ上がる細い道を登りきると、景勝50選「光明寺裏山の展望」の展望台がある。
光明寺の裏山天照山の中腹は、鎌倉の市街地を三方から取り囲んでいる丘陵の西南端、材木座海岸にのぞみ、逗子市との境界線に近いが、ここからの眺望もまた素晴らしい。
正面遠くに富士山が見える場所である。
山門の右手にある蓮乗院は、光明寺の支院。源頼朝の鎌倉入りを進言した千葉常胤の守護仏と伝えられる本尊阿弥陀如来像は鎌倉時代の作と伝えられる。