海蔵寺側の小道から葛原ガ岡の項に通じる仮粧坂切通し(鎌倉七口)は、S字形の坂道で、葛原ガ岡の山道をとおって梶原・藤沢へ通じ、鎌倉往還として早くから開けていた。仮粧坂を上りきった葛原ガ岡の山項は現在、源氏山公園となっている。
公園内は、昼食を取る修学旅行生の子供たちでいっぱいになっていた。
平治元年(1159)、平治の乱(後白河上皇vs藤原家)が起きると、父義朝と兄義平らが戦いに負けて非業の最期をとげ、源頼朝は14歳で伊豆蛭ケ小島(静岡県伊豆の国市)へと配流された。平家の棟梁である平清盛は、頼朝を死罪にして源氏の嫡流を根絶やしにしようとした。だが、清盛の続母である池禅尼が、幼くして亡くした子どもに頼朝が似ていたことから命乞いをし、頼朝は救われたといわれる。
昭和55年(1980)、公園の南側に源願朝の鎌倉入り800年を記念して願朝の銅像が建てられている。
【桜 4月】
春にはサクラの名所で、多くの花見客で賑わう。