佐助の地名は、初代執権北条時政の孫・北条時盛(佐介流北条氏の祖)が邸を構えていたことが由来の一つと伝えられている。
佐助稲荷神社は、成功成就・立身出世の神様として、受験生・就活生・起業家など参拝に訪れる人が多い。
「縁起によれば、源頼朝が伊豆の蛭ケ小島に流されたとき、ある夜翁があらわれ、「私は鎌倉鎮座の神である。早く兵をおこして平家を討伐し、天下を統一しなさい」といってはげましたので、頼朝は鎌倉にはいると、稲荷の神霊に感謝して佐介山の隠里の地を選び、畠山重忠に社殿を作らせたと伝える。」(※)
本殿は、平成31年(2019)の台風で被害を受け、現在は再建中で、その場所には小さな社が建てられていた。
稲荷山は麓の田畑を潤す水源であり、「霊狐の神水」と呼ばれていた。現在も清水が湧き出ている。
十一面観世音菩薩は徳川時代、足柄郡の尼寺から縁あって当地に安置された木像十一面観音は、良縁にうすく、諦めて仏門に入られた美しい姫君、赤松幸運がこの世の若い男女に良縁あらんことをと祈りつつ彫られたと伝えられている。