朝比奈町側入口から「朝夷奈切通」と書かれた細い道に入る。大きな石を切り開いた、昔の面影を残す坂道が続く。
最高所の峠の岩壁には、磨崖仏が線刻されている。
「鎌倉と金沢を結ぶ朝夷奈切通(鎌倉七口)は、六浦口とも呼ばれ、鎌倉の東側の守備と考えられ、七口のなかで当時の姿を最も今に伝えている。仁冶元年(1240)、幕府は鎌倉と六浦の間に道を開くことを決めた。三代執権北条泰時が指揮を執り、率先して工事に当たった。和田義盛の三男、朝比奈三郎義秀が太刀で一夜のうちに切り開いたとの伝承がある。」(※)
梶原太刀洗水(鎌倉五名水)は、讒言(ざんげん)で源頼朝に疑われた千葉上総介広常を、梶原景時が寿永2年(1183)に討ったとき、その太刀を洗ったと伝えられる。