「浄妙寺は臨済宗建長寺派、山号は稲荷山、足利義兼が退耕行勇を開山としてたでた極楽寺が、義兼の子足利義氏のときに密教系の寺院から禅宗の臨済宗にかわったという。それは蘭溪道隆(大覚禅師)の法をついだ月峯了然が住職となったためで、寺名も浄妙寺とかわっている。」(※)
山門から境内にはいると、禅宗方丈の形状をよく残している仏殿(本堂)がある。
開山堂には退耕行勇像(国重文)が安置され、簡潔な刀法に個性をよく表現して、南北朝期の項相彫刻のすぐれたものである。
裏の基地には足利貞氏の墓と伝える「明徳三(1392)年」の銘をもつ宝篋印塔がある。塔身の正面だけに宝生如来を浮彫りにし、ほかの面は梵字をきざんでいる。石塔の周辺には足利氏の室町時代ころの墓塔もみられる。
天正年間(1500年代)僧が一同に茶を喫した喜泉庵があった。
枯山水の庭園は、平成3年(1991)復興、開席、庭園は杉苔を主とした枯山水であった。
【ウメ・ロウバイ 2月】
早春の時期には、本堂前のウメ・ロウバイの花が見頃を迎える。