小坪トンネル(小坪隧道)を抜けた所が小坪七丁目バス停がある。ここから山側へ細い山道を約10分登ると、名越切通がある。
名越切通(鎌倉七口)は、鎌倉から三浦半島に通じる要路で、現在の名越トンネルの上を通っている。道が険しく難路であったために「難越」から「なごえ」という名が付いたといわれる。
鎌倉から三浦へ通じる切通しで、小坪トンネルの上に旧道の一部が残っている。北条氏にとって三浦一族は強力なライバルであり、それゆえ名越は鎌倉防御の一大拠点である。名越切通周辺の切岸は、防御施設としての切通しの側面を物語っている。宝治元年(1247)の宝治合戦で、北条氏(北条時頼)は三浦氏を討つことに成功した。
名越切通の周辺に、横穴式の供養施設であるやぐらが約150基も集中する「まんだら堂やぐら群」や、死者を荼毘に付した跡など、中世の葬送に関する遺構が数多く分布するほか、切通しの防衛にも関係すると考えられる人工的な平場や大規模な石切場跡が尾根筋に見られるなど、古都鎌倉の周縁の歴史的景観が残されている。