「鎌倉時代、瀬戸入江をのぞむこの地は六浦荘金沢とよばれ、鎌倉と房総を結ぶ要地として北条氏が支配した。鎌倉幕府の評定衆・引付衆などを歴任した金沢流北条氏二代北条実時が、正嘉2年(1258)ごろに金沢の別邸内に持仏堂を設けたのが称名寺のおこりである。」(※)
【桜 3月】
桜の季節、赤門から仁王門までの桜並木は大勢の花見客で賑う。
仁王門の左右の金剛力士像は、元亨3年(1323)に仏師院興が造立した関東最大の仁王像です。
苑池を中心とした境内が眼前に広がり、池ごしの正面に稲荷山を背にした金堂がたつ中島を浮かべた池は、梵字アをかたどった阿字ヶ池とよばれる浄土式庭園である。
池には、沢山のカモが見られる。また、平橋付近からは、鮮やかな水色したカワセミを観察することができる。
金堂の本尊弥勤菩薩立像(国重要文化財)は「建治二(1276)年」の銘がある宋風彫刻で、背後の来迎壁に弥勤菩薩来迎図・浄土図(国重要文化財)が描かれている。
釈迦堂の本尊は、特異な波状衣文をもつ清涼寺方式の釈迦如来立像(国重要文化財、金沢文庫保管)で、実時の三十三回忌にあたる徳治3年(1308)につくられた。
金沢八景の1つ「称名の晩鐘」で名高い梵鐘がある。実時が父母の菩提をとむらうために鋳造したものを子の顕時が改鋳した。物部国光・依光の合作になる形の整った名鐘である。
【イチョウ 11月】
秋の季節になると、園内にあるケヤキ・イチョウ・楷樹(孔子木)等の木々が黄金色の美しい景観をみせる。
庭園内は小春日和の陽気に恵まれ、写真を撮りながら黄葉を楽しむ人が散歩していた。
池に映る3本のイチョウと青空のコントラストが綺麗です。
「この木は昭和14年(1939)11月8日に植えられたもので、一般的な和名は「楷の木」と呼ばれている。世界的には「孔子木」と名づけられている。日本ではほとんど見ることができないが、わずかに孔子信仰と関係ある東京・湯島聖堂、足利市の足利学校などに植樹されている。」(※)
「金沢流北条氏二代北条実時は、鎌倉幕府の二代執権北条義時の孫で、貞応3年(1224)に父実泰の子として生まれました。実時は、引付衆や評定衆など幕府の要職を歴任し、文永3年(1275)には越訴奉行をつとめています。稲荷山山腹には北条実時の墓とされる宝篋印塔がある。」(※)
【北条顕時・北条貞顕廟】
三代北条顕時は、北条実時の子で、鎌倉幕府の重職であった引付衆や評定衆などを歴任した。弘安8年(1285)の霜月騒動により一時政界を退いたが、その間、禅に傾倒し、五山版のさきがけとなった『伝心法要』の開版を行った。
金沢流北条氏四代北条貞顕は、六波羅探題をつとめたのち、十五代執権となった。
二代実時のあと、三代顕時・四代貞顕・五代貞将の保護と、住職に高名な学僧を輩出したことから、称名寺は大いに栄えた。
【称名寺市民の森】
称名寺市民の森は、称名寺の境内をぐるりと取り囲んだ森で、季節の花々や紅葉を楽しむことができる。遊歩道には北条実時の墓・稲荷山休憩所・八角堂広場がある。
北条実時は政治面で活躍する一方、広範な分野の学問にも力をつくし、文武ともすぐれた知識人で、現在の称名寺がある地に別業を開き、金沢文庫の礎を築きました。
中央の北条実時の墓(宝篋印塔)の両側の五輪塔は、金沢北条一門の墓と伝えられている。
金沢山の頂上にある八角堂を建立したのは、称名寺近くに別荘を構えていた大橋新太郎(実業家)と言われている。
【金沢文庫】
県立金沢文庫近くの民家に咲く皇帝ダリアが、秋空に映えて綺麗でした。
境内にある県立金沢文庫は、創建は健治元年(1275)、北条実時により、和漢の書籍を蔵し当時、関東の学問の中心をなした。北条氏滅亡後、急速に衰えたが、昭和5年(1930)に復興。現在は、称名寺に伝わる古文書、古美術品など2万点以上を集蔵している。
中世の隧道は、称名寺の伽藍が完成した元亨3年(1323)に描かれた「称名寺絵図」には、阿弥陀堂のうしろ山麓に両開きの扉があり、その洞門の位置に一致する。
真言宗御室派。源頼朝の弟にあたる源範頼の別邸があったこの地に、鎌倉時代の初期に建立された三愈山遍照房が始まりと伝えられている。本尊の薬師如来(源範頼の持仏)、大日如来、種子曼陀羅、鎌倉末期の作とされる聖観世音菩薩像などがある。
「金沢文庫の古文書のなかに、「称名寺金堂の屋根を葺くために檜皮を八幡宮の前で荷揚した」と記されています。神社の前には瀬戸の内海が広がり、八幡河岸と呼ばれる船着場がありました。この社は、古くから付近一帯の総鎮守として祀られていたようです。祭神は応神天皇ですが、明治41年(1908)、町内にあった神明社、王子社、称名寺境内にあったと伝わる鷲の宮を合祀しました。」(※)
「福船山。日蓮宗。本尊は十界曼陀羅、感応の祖師像。もとは修験僧・悟明の庵室でしたが、下総から鎌倉に向かう日蓮と富木胤継(常忍)が船中で法論をしたが決着が付かず、金沢に着岸して悟明庵に移ってもさらに問答を続けたと云います。このとき日蓮の教えに感銘を受けた悟明は、弟子となり安立院日悟と名前を改めて、安立寺を開基したと伝えられています。”船中問答着岸の零場”の大きな石碑があります。」(※)
「縁起によると、文治年間(1185-90)に初代将軍源頼朝と文覚上人が六浦山中(上行寺東遺跡)に浄願寺を建立し、13世紀中ごろに忍性が釆住して戒律を広めた。文明10年(1478)、兵火により焼失したため現在の洲崎の地に寺を再建し、龍華寺と号した。」(※)
本像は、境内の地蔵堂の本尊で、右手に錫杖、左手に宝珠を持ち、岩座上の蓮台に安坐しています。光背は輪光で、持物・台座・光背などは後から補われたものです。また、左手の第二・三・四・五指の各指先は欠失しています。
元利6年(1620)に本尊が現在の大日如来となり、江戸時代には塔頭4院、末寺20余を擁し、武蔵国の密教教学の中心寺院として栄えた。
梵鐘は、天文10年(1541)に吉尾谷重長が寄進したもので、細身の様式、鎌倉末期の鋳造とされる。
手入れされた境内には、横浜市名木古木指定のクロマツ・ソテツが植えられている。
当社は元富岡村と柴村との間に長浜と字せる所あり、現今は野口記念館のある所にして昔時は十八町も海に突出し、今に長浜千軒と口碑に残れる程にて人家稠密し殷賑を極めしが、応長元年(一三一一年)激浪の為洗い滅ぼされし住民の一部本村に移住す。依って産土神たる鎮守大六天も同時に此処に移し造営す。
この地は、料亭東屋の跡で、明治20年(1887)伊藤博文、伊東巳代治、金子堅太郎、井上毅らが明治憲法制度のため草案した所です。
金沢道(金沢歴史の道)と呼ばれる旧国道沿いは、中世から現在までの歴史を感じさせる神社仏閣・遺跡・言い伝えなどが多く残されている。
「金沢歴史の道」から外れて、野島公園・旧伊藤博文金沢別邸を往復する。
伊藤博文の別邸は、明治31年(1898)に建てられ、平成18年(2006)に横浜市の指定有形文化財に指定された。解体工事が行われた後、平成21年(2009)10月から無料で公開されている。
客間は、金沢別邸の3棟の中で最も格式が高い別邸の中心的建物である。控え座敷である12畳「晴嵐の間」と奥座敷である12.5畳「帰帆の間」の二間からなる。
一葉式いけ花「花と博文邸」が開催(2019/3/5-10)されていた。
別邸には、大正天皇や皇族が度々来訪しており、招かれた客人はこの客間から松越しの金沢の海岸風景を眺め、ゆったりとした時を過ごしたことと言われている。
「牡丹園は、かって野島にあった永島家の牡丹園を復元したものです。永島家の牡丹園の美しさは天保10年(1839)り『相中留恩記略』に「花の頃は壮観なり」と記され、徳富蘆花もその著『自然と人生』に「金沢の牡丹を見に行った」と記すなど、江戸から明治・大正期にかけて多くの見物客が訪れました。現在の金沢区の花「牡丹」はこの牡丹園に由来していています。 」(※)
野島公園は、バーベキュー・キャンプ場、野球場などの施設があり、山頂展望台からは横浜の海、房総半島や富士山まで360度の景色を見ることができる。
瀬戸神社はこの一帯に存在した内海(平潟湾)の中心に位置し、その西部にはかつて鎌倉の外港として栄えた六浦津であった。
社伝によると治承4年(1180)、源頼朝が日ごろ崇敬する伊豆三島明神をこの地に勧請したといい、中世には瀬戸三島神社とよばれ、北条氏・足利氏をはじめとする上下の信仰を集めた。
社宝に三代将軍源実朝の使用と伝えられる陵王面・抜頭面(国重要文化財)がある。これらは鎌倉時代の作で、江戸時代末期に水戸家の徳川斉昭が模刻を制作させたほど世に知られていた。
「玉縄桜は、大船フラワーセンター大船植物園で「ソメイヨシノ」の実生から早咲きのものが選抜育成された桜です。植物園近くに戦国時代、難攻不落の城と言われた玉縄城という山城があったことから、その名に因んで名付けられました。また、鎌倉生まれという事から「鎌倉桜」とも呼ばれています。」(※)
蛇混柏は、文明18年(1486)萬里和尚の詩の自註に「六浦廟前有古伯屈繁」とあり、延宝8年(1680)8月6日の台風に転倒しても後も朽損せず、新編鎌倉志・江戸名所図絵などにも「蛇混柏」と称した名木で、金沢八木の一つである。
琵琶島は、島の形が琵琶に似ていることから呼ばれたと言われます。島には北条政子が近江の竹生島から勧請した弁天を祭ってあります。もとは瀬戸神社前面の海中にあり、二つの島を橋で結んでいましたが、現在は陸つづきとなっています。
金沢六浦の地は、海路の要所となる重要な港湾であっただけでなく、浦波島山のさまが千変万化に見えて、鎌倉幕府伊依頼の武将たちはもとより、江戸の町人や明治の貴紳・文化人たちの安らぎの場所でありました。
【武州 金沢八景】
洲崎の晴嵐 野島の夕照 瀬戸の秋月 平潟の落雁 小泉の夜雨 内川の慕雪 乙舳の帰帆 称名の晩鐘