歴史の道「金沢道」を歩く
(金沢文庫~金沢八景)

神奈川ウォーキング / 横浜市ウォーキング
金沢文庫駅(京急本線)~称名寺~三療山薬王寺~金沢八幡神社~安立寺~龍華寺~洲崎神社~明治憲法草創の碑~野島公園~瀬戸神社~金沢八景駅(京急本線)

mark称名寺(しょみょうじ)
赤門
赤門
扁額「称名寺」
扁額「称名寺」

 鎌倉時代、瀬戸入江をのぞむこの地は六浦荘金沢とよばれ、鎌倉と房総を結ぶ要地として北条氏が支配した。鎌倉幕府の評定衆・引付衆などを歴任した金沢北条氏二代北条実時が、正嘉2年(1258)ごろに金沢の別邸内に持仏堂を設けたのが称名寺のおこりである。

仁王門
2008.3.29 称名寺の桜
youtube(花の名所)

 桜の季節、赤門から仁王門までの桜並木は大勢の花見客で賑う。

仁王門
仁王門

 仁王門の左右の金剛力士像は、元亨3年(1323)に仏師院興が造立した関東最大の仁王像である。

金剛力士像(吽形)
金剛力士像(吽形)
金剛力士像(阿形)
金剛力士像(阿形)

称名寺庭園
称名寺庭園(国史跡)

 苑池を中心とした境内が眼前に広がり、池ごしの正面に稲荷山を背にした金堂がたつ中島を浮かべた池は、梵字アをかたどった阿字ヶ池とよばれる浄土式庭園である。

反橋
反橋
平橋
平橋

カモ
カモ
カワセミ
カワセミ

 池には、沢山のカモが見られる。また、平橋付近からは、鮮やかな水色したカワセミを観察することができる。

金堂
金堂

 金堂の本尊弥勤菩薩立像(国重要文化財)は「建治二(1276)年」の銘がある宋風彫刻で、背後の来迎壁に弥勤菩薩来迎図・浄土図(国重要文化財)が描かれている。

金堂
金堂
釈迦堂
釈迦堂

 釈迦堂の本尊は、特異な波状衣文をもつ清涼寺方式の釈迦如来立像(国重要文化財、金沢文庫保管)で、実時の三十三回忌にあたる徳治3年(1308)につくられた。

鐘楼
鐘楼

 金沢八景の1つ「称名の晩鐘」で名高い梵鐘がある。実時が父母の菩提をとむらうために鋳造したものを子の顕時が改鋳した。物部国光・依光の合作になる形の整った名鐘である。

名木古木の大ケヤキ
名木古木の大ケヤキ

 秋の季節になると、園内にあるケヤキ・イチョウ・楷樹(孔子木)等の木々が黄金色の美しい景観をみせる。

隧道から見た大ケヤキ
隧道から見た大ケヤキ
散策を楽しむ人
散策を楽しむ人

 庭園内は小春日和の陽気に恵まれ、写真を撮りながら黄葉を楽しむ人が散歩していた。

池に映る3本のイチョウ
池に映る3本のイチョウ

 池に映る3本のイチョウと青空のコントラストが綺麗である。

楷樹(孔子木)
楷樹(孔子木)
楷樹の黄葉
楷樹の黄葉

 この木は昭和14年(1939)11月8日に植えられたもので、一般的な和名は「楷の木」と呼ばれている。世界的には「孔子木」と名づけられている。日本ではほとんど見ることができないが、わずかに孔子信仰と関係ある東京・湯島聖堂、足利市の足利学校などに植樹されている。

関連ページ(イチョウの名所)


北条実時胸像
北条実時胸像
新宮古址
新宮古址

 金沢北条氏二代北条実時は、鎌倉幕府の二代執権北条義時の孫で、貞応3年(1224)に父実泰の子として生まれた。実時は、引付衆や評定衆など幕府の要職を歴任し、文永3年(1275)には越訴奉行をつとめている。稲荷山山腹には北条実時の墓とされる宝篋印塔がある。

【北条顕時・北条貞顕廟】

北条顕時の墓
北条顕時の墓
北条顕時の墓
北条顕時の墓

 三代北条顕時は、北条実時の子で、鎌倉幕府の重職であった引付衆や評定衆などを歴任した。弘安8年(1285)の霜月騒動により一時政界を退いたが、その間、禅に傾倒し、五山版のさきがけとなった『伝心法要』の開版を行った。

北条貞顕の墓
北条貞顕の墓
北条貞顕の墓
北条貞顕の墓

 四代北条貞顕は、顕時の子で、六波羅探題をつとめたのち、十五代執権となった。
 金沢北条一門は、実時のあと顕時・貞顕・貞将ら金沢北条氏三代の保護と、住職に高名な学僧を輩出したことから、称名寺は大いに栄えた。

【称名寺市民の森】

北条実時の墓
北条実時の墓
北条実時の墓
北条実時の墓

 北条実時は政治面で活躍する一方、広範な分野の学問にも力をつくし、文武ともすぐれた知識人で、現在の称名寺がある地に別業を開き、金沢文庫の礎を築いた。

金沢北条一門の墓
金沢北条一門の墓(左側)
金沢北条一門の墓
北条実時の墓と金沢北条一門の墓(右側)

 中央の北条実時の墓(宝篋印塔)の両側の五輪塔は、金沢北条一門の墓と伝えられている。

稲荷山休憩所
稲荷山休憩所
稲荷山休憩所
稲荷山休憩所

 称名寺市民の森は、称名寺の境内をぐるりと取り囲んだ森で、季節の花々や紅葉を楽しむことができる。遊歩道には北条実時の墓・稲荷山休憩所・八角堂広場がある。

八角堂
八角堂
金沢八景島方向の眺め
金沢八景島方向の眺め

 金沢山の頂上にある八角堂を建立したのは、称名寺近くに別荘を構えていた大橋新太郎(実業家)と言われている。

【金沢文庫】

金沢文庫
金沢文庫
中世の隧道
中世の隧道

 境内にある県立金沢文庫は、創建は健治元年(1275)、北条実時により、和漢の書籍を蔵し当時、関東の学問の中心をなした。北条氏滅亡後、急速に衰えたが、昭和5年(1930)に復興。現在は、称名寺に伝わる古文書、古美術品など2万点以上を集蔵している。
 中世の隧道は、称名寺の伽藍が完成した元亨3年(1323)に描かれた「称名寺絵図」には、阿弥陀堂のうしろ山麓に両開きの扉があり、その洞門の位置に一致する。

関連ページ(ソメイヨシノの名所)


mark三療山薬王寺(さんりょうさんやくおうじ)
山門
山門
本堂
本堂

 真言宗御室派。本尊は薬師如来(秘仏・範頼の持仏と伝えられる)。源頼朝の弟にあたる源範頼の別邸があったこの地に鎌倉時代の初期に建立された三愈山遍照房が始まりと伝えられています。範頼の位牌、かつての本尊・大日如来、種子曼陀羅、鎌倉末期の作とされる聖観世音菩薩像などがあります。明治期、寺前や谷津にあった幾つかの寺院の本尊が合祀され、近隣の石塔も集められています。(横浜金沢観光協会HPより)

mark金沢八幡神社(かなざわはちまんじんじゃ)
社殿
社殿
神輿殿
神輿殿

 金沢文庫の古文書のなかに、「称名寺金堂の屋根を葺くために檜皮を八幡宮の前で荷揚した」と記されています。神社の前には瀬戸の内海が広がり、八幡河岸と呼ばれる船着場がありました。この社は、古くから付近一帯の総鎮守として祀られていたようです。祭神は応神天皇ですが、明治41年(1908)、町内にあった神明社、王子社、称名寺境内にあったと伝わる鷲の宮を合祀しました。(横浜金沢観光協会HPより)

mark安立寺(あんりゅうじ)
本堂
本堂
鐘楼
鐘楼

 福船山。日蓮宗。本尊は十界曼陀羅、感応の祖師像。もとは修験僧・悟明の庵室でしたが、下総から鎌倉に向かう日蓮と富木胤継(常忍)が船中で法論をしたが決着が付かず、金沢に着岸して悟明庵に移ってもさらに問答を続けたと云います。このとき日蓮の教えに感銘を受けた悟明は、弟子となり安立院日悟と名前を改めて、安立寺を開基したと伝えられています。”船中問答着岸の零場”の大きな石碑があります。(横浜金沢観光協会HPより)

mark龍華寺(りゅうげじ)
龍華寺
龍華寺

 縁起によると、文治年間(1185-90)に初代将軍源頼朝と文覚上人が六浦山中(上行寺東遺跡)に浄願寺を建立し、13世紀中ごろに忍性が釆住して戒律を広めた。文明10年(1478)、兵火により焼失したため現在の洲崎の地に寺を再建し、龍華寺と号した。

地蔵堂
地蔵堂
クロマツ
クロマツ

 本像は、境内の地蔵堂の本尊で、右手に錫杖、左手に宝珠を持ち、岩座上の蓮台に安坐しています。光背は輪光で、持物・台座・光背などは後から補われたものです。また、左手の第二・三・四・五指の各指先は欠失しています。(横浜市教育委員会掲示の抜粋)

本堂
本堂
本堂の扁額
本堂の扁額

 元利6年(1620)に本尊が現在の大日如来となり、江戸時代には塔頭4院、末寺20余を擁し、武蔵国の密教教学の中心寺院として栄えた。

鐘楼
鐘楼
梵鐘
梵鐘

 梵鐘は、天文10年(1541)に吉尾谷重長が寄進したもので、細身の様式、鎌倉末期の鋳造とされる。

不動明王
不動明王
ソテツ
ソテツ

 手入れされた境内には、横浜市名木古木指定のクロマツやソテツなどが植えられている。

mark洲崎神社(すさきじんじゃ)
社殿
社殿
天王社
天王社

 当社は元富岡村と柴村との間に長浜と字せる所あり、現今は野口記念館のある所にして昔時は十八町も海に突出し、今に長浜千軒と口碑に残れる程にて人家稠密し殷賑を極めしが、応長元年(一三一一年)激浪の為洗い滅ぼされし住民の一部本村に移住す。依って産土神たる鎮守大六天も同時に此処に移し造営す。(境内掲示の抜粋)

mark明治憲法草創の碑(めいじけんぽうそうそうのひ)
明治憲法草創の碑
明治憲法草創の碑
石標「金沢歴史の道」
石標「金沢歴史の道」

 この地は、料亭東屋の跡で、明治20年(1887)伊藤博文、伊東巳代治、金子堅太郎、井上毅らが明治憲法制度のため草案した所である。
 金沢道(金沢歴史の道)と呼ばれる旧国道沿いは、中世から現在までの歴史を感じさせる神社仏閣・遺跡・言い伝えなどが多く残されている。

mark野島公園(のじまこうえん)

 「金沢歴史の道」から外れて、野島公園・旧伊藤博文金沢別邸を往復する。

旧伊藤博文金沢別邸
旧伊藤博文金沢別邸
客間の外観
客間の外観

 伊藤博文の別邸は、明治31年(1898)に建てられ、平成18年(2006)に横浜市の指定有形文化財に指定された。解体工事が行われた後、平成21年(2009)10月から無料で公開されている。

客間のいけ花
客間のいけ花

 客間は、金沢別邸の3棟の中で最も格式が高い別邸の中心的建物である。控え座敷である12畳「晴嵐の間」と奥座敷である12.5畳「帰帆の間」の二間からなる。

客間のいけ花
客間のいけ花

 一葉式いけ花「花と博文邸」が開催(2019/3/5-10)されていた。

廊下のいけ花
廊下のいけ花
廊下のいけ花
廊下のいけ花

客間からの眺め
客間からの眺め

 別邸には、大正天皇や皇族が度々来訪しており、招かれた客人はこの客間から松越しの金沢の海岸風景を眺め、ゆったりとした時を過ごしたことと言われている。

客間の外観
客間の外観

 奥座敷の「夕照の間」の夕照とは、金沢八景の一つ「野島の夕照」をさしており、野島から瀬戸方面を見た時の夕暮れの景色と言われている。

居間
居間
鶴の透かし彫
鶴の透かし彫

 居間は、客間棟の南西に位置し、博文の書斎、寝室として使用されていた。8畳二間からなり、客間棟と同じく東と南側に内縁が廻る。二間境の上は、鶴の透かし彫が施された板欄間が付く。

牡丹園入口
牡丹園入口
牡丹園
牡丹園

 牡丹園は、かって野島にあった永島家の牡丹園を復元したものである。永島家の牡丹園の美しさは天保10年(1839)り『相中留恩記略』に「花の頃は壮観なり」と記され、徳富蘆花もその著『自然と人生』に「金沢の牡丹を見に行った」と記すなど、江戸から明治・大正期にかけて多くの見物客が訪れた。現在の金沢区の花「牡丹」はこの牡丹園に由来している。

野島公園管理棟
野島公園管理棟
野島公園
野島公園(公園・庭園)

 野島公園は、バーベキュー・キャンプ場、野球場などの施設があり、山頂展望台からは横浜の海、房総半島や富士山まで360度の景色を見ることができる。

mark瀬戸神社(せとじんじゃ)
瀬戸橋
瀬戸橋
宮川
宮川

 瀬戸神社はこの一帯に存在した内海(平潟湾)の中心に位置し、その西部にはかつて鎌倉の外港として栄えた六浦津があった。

鳥居
鳥居
手水舎
手水舎

 社伝によると治承4年(1180)、源頼朝が日ごろ崇敬する伊豆三島明神をこの地に勧請したといい、中世には瀬戸三島神社とよばれ、北条氏・足利氏をはじめとする上下の信仰を集めた。

拝殿
拝殿
社殿
社殿

 社宝に源実朝の使用と伝えられる陵王面・抜頭面(国重要文化財)がある。これらは鎌倉時代の作で、江戸時代末期に水戸家徳川斉昭が模刻を制作させたほど世に知られていた。

満開の玉縄桜
満開の玉縄桜

 玉縄桜は、大船フラワーセンターで「ソメイヨシノ」の実生から早咲きのものが選抜育成された桜である。戦国時代、難攻不落の城と言われた玉縄城という山城があったことから、その名に因んで名付けられた。また、鎌倉生まれという事から「鎌倉桜」とも呼ばれている。

玉縄桜と拝殿
玉縄桜と拝殿
蛇混柏
蛇混柏

 蛇混柏は、文明18年(1486)萬里和尚の詩の自註に「六浦廟前有古伯屈繁」とあり、延宝8年(1680)8月6日の台風に転倒しても後も朽損せず、新編鎌倉志・江戸名所図絵などにも「蛇混柏」と称した名木で、金沢八木の一つである。

琵琶島
琵琶島

 琵琶島は、島の形が琵琶に似ていることから呼ばれたと言われ、島には北条政子が近江の竹生島から勧請した弁天を祭ってある。もとは瀬戸神社前面の海中にあり、二つの島を橋で結んでいたが、現在は陸つづきとなっている。金沢八景の一つである「瀬戸秋月」の夜景を描いたものである。

「金沢八景」図
「金沢八景」図
平潟湾
平潟湾

 金沢六浦の地は、海路の要所となる重要な港湾であっただけでなく、浦波島山のさまが千変万化に見えて、鎌倉幕府伊依頼の武将たちはもとより、江戸の町人や明治の貴紳・文化人たちの安らぎの場所であった。
 【武州 金沢八景】
 洲崎の晴嵐 野島の夕照 瀬戸の秋月 平潟の落雁 小泉の夜雨 内川の慕雪 乙舳の帰帆 称名の晩鐘

「福石」石碑
「福石」石碑
琵琶島神社
琵琶島神社

map 金沢八景周辺 ウォーキングマップ

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潮の香り漂う金沢八景散歩(幸浦~金沢文庫)

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