京急金沢八景駅から国道16号沿いに歩き始め、雷神社前から鷹取山(自然)への登り道に入る。途中、追浜小学校と鷹取小学校前を通り鷹取山公園に着く。
鷹取山は、三浦半島の北部にあり、標高139mほどで、高取山とも書かれ、また、山の形が群馬県の妙義山と似ていることから、湘南妙義という名前でも呼ばれている。江戸末期頃までは、神武寺の僧たちの修行場でもあった。
魔崖仏の弥勒菩薩尊像は、逗子市に在住の田口氏の依頼により、本山在住の彫刻家藤島茂氏が昭和4年頃に制作したものです。
明治以後、建築用材として多くの石が切り出された。変形して残された切り跡が、岩登りの格好のロッククライミング練習場になり、岩につけられた無数の小さな穴は打ち込まれたハーケンの跡である。
鷹取山公園から神武寺ハイキングコースを歩き、約20分で神武寺の薬師堂の上に着いた。
「神武寺は、医王山来迎院と号し、鎌倉時代以前の記録は不詳。寺の縁起では、神亀元年(724)、聖武天皇が行基に命じて造営させ、のち天安元年(757)に円仁(慈覚大師)が中興して伽藍を整え、法相宗から天台宗へ改宗し、初代将軍源頼朝が平家追討祈願のため文覚上人を住持にしたと伝える。」(※)
薬師堂は、文禄3年(1594)に建立し、寛文6年(1666)に再建された。三間四方の三間堂で、屋根は茅葺き寄棟造である。堂内の内陣には立派な来迎柱や各天井があり、来迎柱のうえの出組斗供や両脇の木鼻の絵模様、蟇股の部分も、室町末期の様式が残っており、寛文の再建時に古材を再利用したものと思われる。
鐘楼は、かって「元和9年(1623)」の銘がある。「神武寺の鐘」として逗子八景の一つにもなっていた鐘であったが、第二次世界大戦で供出して現在のものは新しい鐘でる。