公園は、関東大震災の復興事業の一環として、横浜市内の焼土、瓦礫を埋一め立て処理し、再び災害があった時の避難場所にもなるようにという目的から、大正14年(1925)、建設が始められた。昭和5年(1930)2月に完成した。
横浜市とサンディエゴ市は昭和32年(1957)10月29日に姉妹都市として提携し、サンディエゴから「水の守護神像」と「ミッションベル」が寄贈された。
「赤い靴はいてた女の子像」は、野口雨情作詞・本居長世作曲で発表された童謡「赤い靴」、その歌詞をイメージして昭和54年(1979)、山下公園に造られました。童謡「赤い靴」の舞台でもある北海道 留寿都村には、留寿都村の開拓に挑んだ母の銅像、母親を思う娘の物悲しい姿の銅像です。
童謡「かもめの水兵さん」は、昭和12(1937)に武内俊子作詞・河村光陽作曲で発表された。
氷川丸前の沈床花壇は、幕末期につくられたフランス波止場の姿をほぼとどめており、この波止場から幕末には井上馨・伊藤博文らがイギリスへ密航している。
花壇の東(山手)側にはフィリピンの革命家で横浜に亡命したアルテミオ・リカルテの記念碑が建てられている。
5月には、未来バラ園のバラが見頃を迎える。
【2024年5月 横浜スパークリングトワイライト2024】
打上げ場所:新港ふ頭の先端付近から、撮影場所:大さん橋からの撮影。
打上げ場所:大さん橋の先端付近から 撮影場所:山下公園から
5分程度の短時間花火を冬季も含めた通年・週末を中心に横浜港周辺で打上げされる。
強風の中の花火で、煙も少なく鮮やか花火が観られた。
【2022年4月 ガーデンネックレス横浜】
横浜を代表する山下公園は、桜、チューリップ、バラと春の花々が咲き誇る。
【2017年5月 全国都市緑化よこはまフェア】
全国都市緑化よこはまフェアのイベント開催中(2017.3.25-6.4)の山下公園では、市の花であるバラと草花の豪華な共演が見られる。シーバスに乗船して横浜駅東口へ。
色彩のコンチェルトが楽しめる「未来のバラ園」が開催されていた。
【2016年7月 横浜スパークリングトワイライト】
2日間にわたって開催される花火大会では、約3000発の花火が打ち上げられる。
【2010年12月 横浜港観光船】
オシャレで豪華な「マリーン ルージュ」での横浜港一周60分コース。大桟橋、横浜ベイブリッジ、横浜港シンボルタワー、扇島工業地帯、鶴見つばさ橋、大黒大橋などが見所。
【2005年9月~12月18日 横浜トリエンナーレ2005】
コンテナオブジェクトは、山下埠頭で「横浜トリエンナーレ2005」が開催された時に、山下公園内に設置されたものである。
「山下公園前には、黒い煙突に赤い2本のラインを描いた日本郵船のファンネル(煙突)マークをもつ氷川丸が係留されている。この船は桜木町駅近くにある横浜船渠で1930年に建造された1万2000t、総全長約163mの客船で、内装の一部はアールデコ様式のフランス製である。戦前の横浜港はサンフランシスコ・シアトルへのアメリカ航路の基点として賑わった。氷川丸は、平安・日枝丸ととにシアトル航路へ就航し、チャップリンを乗船させるなどはなやかな時代をすごした。」(※)
平成28年(2016)に国重要文化財に指定された。船内見学ができる。
一等児童室は、ここには"スチュワーデス"と呼ばれる子どもの世話をする女性乗組員がいて託児も行っていた。
一等食堂は、ダイニングサロンで、タキシードとイブニングドレスの紳士淑女がディナーを堪能した場所である。
昭和12年(1937)10月2日秩父宮両殿下の乗船にあたり、船内には、すっぽん、松茸など特別な食材が持ち込まれ、いつも以上に豪華なディナーが用意された。
一等読書室は読書や手紙を書いて過ごす場である。
一等社交室はダンスパーティーの会場になるなど女性の社交場としての性格が強く、優雅なアールデコの装飾が施されている。
横浜を出航してシアトルへ向かう船旅の様子を、実物資料とエピソードで紹介してい
運転士(現在の航海士)が24時間体制で安全航行に努め、操舵した場所である。
大さん橋入口から山下橋までいちょう並木が続く海岸通りは、幕末・開港期から明治の中頃にかけて、外国人居留地のメイン・ストリートだった。
黄金色に輝くイチョウ並木が美しい!
大正14年(1925)11月、横浜市はホテル建設計画を決定し、東京銀座和光ビルなどの設計で知られる渡辺仁の設計により、鉄筋4階建で(のちに米国人建築家モーガンにより5階建てに増築)のホテルが開業した。
本館の丸くカーブする壁面には、「AD1927」と竣工年が刻まれている。
昭和20年(1945)8月30日、厚木飛行場におりたダグラス・マッカーサーが最初の宿舎としたのもこのホテルである。
開業時から変わらぬまま使い続けられている本館の大階段である。
大正11年(1922)に建てられたバターフィルド&スワイヤ商会(旧イギリス七番館跡)の一部が、現在、戸田平和記念館して活用されている。
英一番館跡はイギリス人、ウィリアム・ケズウィックは、横浜開港と同時に帆船で横浜に来航し、居留地一番館において貿易を始めた。英国商社ジャーディン・マセソン商会と称したが、当時の人々が、「英一番館」と呼んでいたのは、この地点である。
現在、英一番館跡にはシルクセンターが建っている。
横浜開港資料館付近から、海岸通り方向に横浜ランドマークタワーが良く見える。
横浜港のシンボルともなっている横浜マリンタワーは、横浜港開港100周年記念行事で昭和36年(1961)に建設された。高さ106m。世界で一番高い灯台である。平成21年(2009)5月23日に、外観や屋内の改装などが行われリニューアルオープンした。外観は紅白からシルバーとブラウンオリーブになった。
山下橋近くにある横浜人形の家は、人形専門の展示施設としては、100か国以上、1万点以上の人形を収蔵する国内唯一の施設である。
【第70回 ザよこはまパレード(キッズパレード)】
山下公園通りのキッズパレード。
【第70回 ザよこはまパレード(神奈川県警察音楽隊)】
キッズパレードと神奈川県警察音楽隊の山下公園通り・横浜税関前・万国橋などのパレードを撮影。3年ぶりの開催、五月晴れの下、大勢の観客で賑わっていた!
【第57回 ザよこはまパレード(横浜国際仮装行列)】
現在、毎年五月のゴールデン・ウィークには、山下公園通りの新縁の下「横浜国際仮装行列」が繰り広げられる。そして、11月になると黄葉したイチョウ並木が秋の風物詩として、多くの市民に親しまれている。
「ジェームス・カーティス・ヘボンはアメリカ人医師で、プロテスタント長老派の宣教師として東洋伝道を志し、1841年からシンガポールやアモイで医療伝道を行った。日本の開国と日米修好通商条約締結を知るや、病院を売却して夫人とともに安政6年(1859)10月来日した。当時は江戸幕府によってキリスト教の布教は厳禁されており、ヘボンはアメリカ人宣教師のS・R・ブラウンとともに神奈川宿の成仏寺で、日本語の研究と医療活動を行った。」(※)