タウンゼント・ハリス

週末ウォーキング / 人物一覧(ゆかりの地)

ゆかりの地

玉泉寺
玉泉寺 (撮影 2017.8.12)
タウンゼント・ハリスの碑
タウンゼント・ハリスの碑

 安政3年(1856)、サンジヤシントン号に乗ったタウンゼント・ハリスは下田に入港し、玉泉寺を領事館とした。ハリスの使命は、日本との通商条約の締結にあった。

唐人お吉
唐人お吉記念館 唐人お吉(撮影 2017.8.12)
ハリス看護
ハリス看護(撮影 2017.8.12)

 安政4年(1857)に、体調を崩したタウンゼント・ハリスのもとに看護婦の名目でつかえたが、ハリスがお吉の腫れ物を嫌がったため、3日後には解雇された。その後、お吉は髪結業や小料理屋の安直楼を営んだがうまくいかず、世間の蔑視をうけるなかで身をくずし、明治23年(1890)に稲生沢川に身を投げた。

タウンゼント・ハリスの碑
善福寺 参道入口の石碑(撮影 2017.3.12)
タウンゼント・ハリスの碑
タウンゼント・ハリスの碑

 安政5年(1858)6月に締結された日米修好通商条約により、それまで下田にいた総領事タウンゼント・ハリスを公使に昇格させ、安政6年(1859)善福寺をアメリカ公使館として8月に赴任した。当時の宿館としては、奥書院や客殿の一部を使用していたが、文久3年(1863)の水戸浪士の焼き討ちで書院などが焼失したため、本堂、開山堂なども使用したと云われている。


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