散歩コース
広尾駅(地下鉄日比谷線)~有栖川宮記念公園~麻布氷川神社~善福寺~一之橋~大門駅(都営浅草線)この地は江戸時代、盛岡藩南部家下屋敷であったが、明治29年(1896)に有栖川宮御用地となり、更に大正2年(1913)には高松宮御用地となった。その後、児童の自然教育及び健康に格別の感心をもたれた高松宮殿下が、昭和9年(1934)1月5日、故有栖川威仁親王の御命日にちなんで御用地約11,000坪を公園地として賜与され、東京市は直ちに工事を進め、同年11月17日有栖川宮記念公園と命名し開園した。
「広場にある騎乗の軍人の銅像が大熊氏広作の有栖川宮熾仁親王である。増上寺の安国殿に像が安置された十四代将軍徳川家茂夫人和宮はこの人の婚約者だったが公武合体政策のために解消されて将軍家に輿入れした。その後熾仁親王は幕府征討の総司令宮として奪われた婚約者のいる江戸を攻めに行った。宮さん宮さんお馬の前にヒラヒラするのは、と官軍が進軍したという宮様である。親王は西南の役、日清戦争などに従軍、参謀総長にもなった。」(※)
新聞少年像
「僕は少年 新聞や 軽くしごけば 新聞の インキがプンと匂います 大事にかかえて走るとき マラソン選手のようでしょう ぼくは元気な新聞や」
教会堂は、関東大震災前に竣工してその姿を留めている貴重な教会建築。大谷石(一部小松石)の組積造で、東西の角に出入口の塔屋を設けて、北と南の壁面には小川三知が制作したステンドグラスが嵌め込まれている。
麻布総鎮守の氷川神社は、天慶5年(942)源経基勧請とも文明年間(1469~87)太田道灌勧請ともいう。港区七福神の一つで毘沙門天を安置する。この付近を元麻布というように中心部だったと云われている。
麻布氷川神社の宮神輿は、関東一円でも有数な千貫神輿と呼ばれている。かっては、大きな宮神輿を牛二頭に引かせて巡行し、荘厳たる姿を披露していた。
「善福寺は、天長元年(824)に空海(弘法大師)によって開山された真言宗である。鎌倉時代に、当時の新興宗教として浄土教の教えが広まり、浄土真宗は親鸞に開創され、迫害を受けながら優勢となって、地方によっては武器をとって戦うほどの強烈を信仰集団に成長した。江戸時代には了海上人によって浄土真宗に改宗された。」(※)
境内の親鸞上人巡錫の銅像のかたわらにイチョウの老巨木がある。都内最古最大の樹で樹齢は推定700年。親鸞は寺を去るとき、持っていた杖を境内の土に立て「念仏の求法、凡夫の往生もまたかくの如きか」といった。根がせり上がって、枝先が下に伸びているところから「逆さ銀杏」とも云われる。
了海上人の木像は開山堂に安置され、玉眼入りで彩色があったが、今は黒光りして手に数珠をもつと云われている。了海は82歳で死去した。
「安政5年(1858)6月に締結された日米修好通商条約により、それまで下田にいた総領事タウンゼント・ハリスを公使に昇格させ、安政6年(1859)善福寺をアメリカ公使館として8月に赴任した。当時の宿館としては、奥書院や客殿の一部を使用していたが、文久3年(1863)の水戸浪士の焼き討ちで書院などが焼失したため、本堂、開山堂なども使用したと云われている。」(※)
渋谷川は渋谷区を流れ、南麻布の天現寺から古川になる。
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