新松田駅から篠窪向かう途中、東名高速道路の下を潜った辺りで駅方面を振り返ると、雪をかぶった富士山が美しかった。
篠窪入口からは、富士見塚ミニハイキングコースになっている坂道の両側はみかん畑が続く。すれ違う人は地元の農家の人ぐらいで、全く静かな所であった。
坂道を約15分上がった場所に富士見塚がある。
富士見塚の由来は、鎌倉時代、初代将軍源頼朝が武士の士気をさかんにするために、「富士の巻狩り」を催した。そのころ頼朝は、この矢倉沢往還の榎の木に馬をしじめて、富士のすばらしい眺めを鑑賞したという。
この場所で富士山の写真を撮っていた地元の人に出合い、色々な季節に撮影した富士山の写真などの話しを、しばらくの間聞かせてもらった。
富士見塚近くの細い道の傍らに矢倉沢往還の篠窪付近(古道50選)の道標が立っている。江戸時代後半には大山参りの講中が盛んになり、両参りの風習から富士山浅間神社へ参詣する旅人の往来で賑わった。
富士見塚から、源頼朝によって創建されたと云われる篠窪三嶋神社、地福寺の前を通り秦野市に入る。左手の畑の真ん中に、柿の実が沢山なっている見事な大きな木(地元では名所)が目についた。
峠トンネルを抜けると正面に大山が見え秦野市街地に入り、渋沢駅方面に歩く。
テクノパークの隣りに桜土手古墳公園がある。この公園内には7世紀後半に造られた円墳が保存され、そして芝生の上では親子が野球を楽しんでいる光景が見られた。
桜土手古墳群をもとに整備された古墳公園で、古墳展示館もある。
桜土手古墳群は東西500m・南北300mの地域に35の円墳を数える群集墳で、7世紀から8世紀ごろの古墳時代後期のものであった。現在12基が現存し、公園敷地内には6基が保存されている。また、半径28mという最大規模の1号墳をモデルにした復元古墳もあり、横穴式石室の内部にはいったり、築造当時の葺石や周溝の様子を観察することができる。
桜土手古墳展示館では、巡回展『発掘されたかながわの顔』が開催(2001.11.10~12.9)されていた。縄文時代から近世までの県内の遺跡から出土した顔の造形のある「人面付土器」「土偶」「人物埴輪」など、ユニークな表情を残しているものが多かった。
秦野中央運動公園は、自然池、和式庭園、様式庭園、噴水池、野球場、陸上競技場、テニスコートなどスポーツ施設に恵まれた公園であった。中央こども公園から水無川に降りて、河川敷の遊歩道を歩く。水辺では美しい小鳥も多く、そしてよく整備された道は秦野駅へと続いていた。
【桜 4月】
桜の季節には、約700mにわたって続く桜並木の景観は圧巻で、神奈川県の桜の名所として親しまれている。