JR辻堂駅から東海道(国道1号)を約1時間歩き、茅ヶ崎駅前の交差点に着く。この場所に東京日本橋から数えて14番目の茅ヶ崎一里塚跡が残っている。
茅ヶ崎 一里塚は、慶長9年(1604)徳川家康が二代将軍徳川秀忠に命じて東海道、東山道、北陸道に整備させたもので、日本橋を起点に沿道一里毎に設けられた。大きさは9メートル四方、高さ3メートルで、街道の両側に相対して築かれ、塚上には多く榎を植え旅人の利便をはからった。
JR茅ヶ崎駅の北約500mのところにある茅ヶ崎中央公園は、道路をはさんで西側に市庁舎や市民文化会館があって、その名のとおり、市の中心的公共空間となっている。昭和59年(1984)の3月に新たにオープンし、面積は4ヘクタールとさして広くはないが、緑の中の市民コミニティ広場としての機能のほか、特に市の防災の中心基地とする点が注目されている。
今日は真夏のような天気だったので、広々とした公園内は木陰で休んでいる人が多少目につく程度であった。
鶴嶺八幡宮は県指定天然記念物の「鶴嶺八幡のイチョウ」に囲まれた美しい八幡宮です。そして、東海道から鶴嶺八幡宮の参道には、昔ながらの松並木が残っていた。
『鶴嶺八幡別当勝福寺縁起』によれば、平(大庭)良正が長承2年(1133)に九州宇佐八幡宮から御身体を勧請したのが始まりであるいう。ほかに永承6年(1051)に河内源氏二代目棟梁源頼義が奥州へ向かう途中、石清水八幡宮を勧請したのが創建という伝承もある。
鳥井戸橋の脇に「南湖の左富士の碑」があり、由来の説明によると、「浮世絵安藤広重は1832年に東海道を旅し、続々と東海道五十三次の風景版画を発表した。その中の一枚に南湖の松原左富士がある。東海道の鳥井戸橋を渡って、下町屋の家並の見える場所の街道風景を写し、絵の左には富士山を描いている」と書かれている。
小出川付近は、中世、京都と鎌倉とを連絡した旧相模川橋脚(古道50選)があった。旧相模川橋脚の小さな池には、黄色の睡蓮の花が咲き昔の面影を残す。
「小出川に沿ったこの一帯は、永らく水田であったが大正12年9月などの大地震によって、七本の橋脚が地上に出て来た。その後、地下に埋もれたもの三本が発見された。
相模川は、鎌倉時代にはこの辺を流れていたが川すじの変化によって、西方へ移ったもので橋脚は土中に埋まったまま700年をへて再び地上に露出したものである。」(※)
第68回湘南ひらつか七夕まつり。湘南スターモールで開催された「織り姫と音楽隊パレード」の様子。