散歩コース
入生田駅(箱根登山鉄道)~長興山シダレザクラ~石垣山(太閤一夜城址)~西海子小路~小田原駅(JR東海道線) 小田原駅発の箱根登山鉄道の車内は、長興山のシダレザクラの花見客で満員だった。
入生田駅から長興山のシダレザクラまでは、坂道を約20分上がる距離です。途中、春日局ゆかりの寺として知られる紹太寺がある。
「長興山紹太寺は小田原藩主稲葉美濃守正則が、父母の冥福を祈るため、京都宇治の万福寺から鉄牛和尚を招き開山として創建された。稲葉氏は元来美濃国の出身で、稲葉正成と春日局の間に生まれた正勝が、寛永9年(1632)小田原8万5000石を授封した。しかし正勝はまもなく没し、子正則が50年近く小田原を支配した。」(※)
シダレザクラは想像を絶する、文字どおり天蓋となって咲き誇っている。枝は細く長々としだれ、花の色もほのかに優しいが、目通り1mを超す幹は黒々とひび割れ、根は大地に踏んぼっている。おそらく大森氏が植えたもので、樹齢は320年以上になる。
早川に架かる太閤橋を渡って石垣山に登る道に入り、入生田駅から約40分で石垣山一夜城歴史公園に着いた。
「石垣山は、小田原市早川集落の西北、箱根外輪山の東端に位置し、標高241mで、山頂には豊臣秀吉が小田原北条氏を攻めるための本営として築かれた城の跡、太閤一夜城址がある。
天正18年(1590)4月、箱根山を越えて湯本の早雲寺に本陣を置いた秀吉は、昼夜兼行で京都聚楽第や大坂城に劣らない築城を命じた。箱根外輪山の木をきり、近隣の岩山から石材を切り出すという勇壮果敢な工事が行われた。」(※)
秀吉の小田原攻め(豊臣軍vs北条軍)が、北条軍に与えた影響は大きく、それまで秀吉はたびたび降伏勧告をしてきたが、それに応じなかった北条氏も、この城が完成して間もない7月7日、ついに小田原城を明け渡し、滅びてしまった。
石垣山一夜城歴史公園から関白道(古道50選)(豊臣秀吉による小田原攻めの頃から利用されていた道)の急な坂をJR早川駅に向って下った。道沿いには、秀吉の小田原攻めに従った8人の武将を紹介する看板が建っている。
早川を渡り小田原城手前で、西海子小路を見つける。静かな住宅地の中、満開の桜トンネルが美しく輝いていた。
小田原城周辺にあった武家屋敷跡を通る道。当時の屋敷は姿を失ったが、一戸一戸のゆとりある広さや屋敷周りに当時の姿がしのばれる。この小路にサイカチ(ジャケツイバラ科の落葉髙木)が立っていたことが名称の由来という。春は桜並木が美しい。
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入生田駅(箱根登山鉄道)~長興山シダレザクラ~石垣山(太閤一夜城址)~西海子小路~小田原駅(JR東海道線)