「若宮大路(鎌倉の路)は、由比ヶ浜から鶴岡八幡宮への参道である。発掘調査の結果、この鳥居から社頭にかけては、若宮大路は現在よりも広い道で、13世紀末期以降には両側に側溝があり、その外側は屋敷の板塀で区切られていた。東側には将軍御所(幕府)や北条氏などの屋敷もあって防衛線のような役割をはたしていたと推定されている。」(※)
元治元年(1864)、下馬近くでは、武士に英国軍人2名が殺されている。(鎌倉事件)
琵琶橋は、佐助川に架かる橋で、昭和30年(1955)ごろまでは、朱塗りの橋があったが、平成4年(1992)に御影石の新しい橋が再建された。
延命寺は、五代執権北条時頼夫人が建てたと伝えられている。運慶作とされる地蔵菩薩像は別名「身代わり地蔵」といわれる。
四代将軍徳川家綱が再建・寄進した一の鳥居は、「寛文八(1668)年」銘のある石造の大鳥居である。
元久2年(1205)6月22日、畠山六郎重保は、有力御家人畠山重忠の子で、初代執権北条時政の陰謀により畠山重忠の乱の直前、三浦泰村に殺害された。
一の鳥居の西側に、畠山六郎重保の墓と伝えられる総高3.46mの立派な宝篋印塔がある。