康平6年(1063)、源頼義・義家父子が前九年の役(清原氏vs安倍氏)(1051~1062)で、奥州の安倍頼時・貞任父子を討って京へ帰る途中に鎌倉に立ち寄り、由比郷鶴岡のこの地に、京都の石清水八幡宮に戦勝を祈願してかなえられたので、その祭神を勧請したといわれている。
永保元年(1081)、頼義の子源義家(八幡太郎)は、後三年の役(源氏vs清原氏)(1083-87年)で奥州へいく途中のに参詣して社殿を修理し、源氏の氏神として信仰したという。
鎌倉に居を定めた初代将軍源頼朝が、治承4年(1180)に小林郷北山(現在地)に鶴岡八幡宮の社殿を移してから元八幡とよぶようになった。
本殿前には義家が白旗を立てかけた「旗立の松」がある。