三ツ境駅から横浜西部病院へ向かう野境道路は、春には桜並木が続き、美しい景観のプロムナードで市民に親しまれている。
地形的には比較的なだらかな丘陵で森の特色として、主にヒノキ、スギの人工林のほかにクヌギ、コナラなどの二次林が混在している。また、帷子川の支流である矢指川の源流域でもある。
【菜の花 3月】
帷子川源流域のお花畑広場、3月中旬から4月上旬頃にかけて菜の花が咲き誇る。
満開の菜の花畑と梅・河津桜の光景は、春爛漫です。
【ヒマワリ 8月】
7月下旬から8月中旬頃にかけては、約6500平方メートルの畑に約2万株植えられている。
帷子川源流域の谷戸を抱えた矢指市民の森は、土地所有者のご好意によりお借りした山林を市民の皆さんに開放している。
追分市民の森から野境道路のマリアンナ口(そばに、聖マリアンナ医科大学横浜市西部病院)に出る。道路を横切って約5分歩き、県立瀬谷高校を少し過ぎたあたりから瀬谷市民の森の入口がある。
和泉川の源流のある、起伏の少ない明るい森。スギやヒノキなどの針葉樹と、クヌギ・コナラなどの雑木林、オオシマザクラなどの大木もあり、自然観察に適している。
「野境いみち」は、相模国と武蔵国の国境となる古道で、現在でも瀬谷区と旭区の区の境界線になっている。
追分市民の森から三保市民の森までは、保土ヶ谷バイパスにかかる川井橋を渡り、三保街道を緑区方面へ向って約30分で着いた。
三保市民の森の面積は約39ヘクタールもある大きな森林で、尾根道や谷道などの遊歩道が沢山あり自由に散歩が楽しめる。
三保市民の森を通り抜けて霧が丘高の交差点に出て、さらに霧が丘公園から東名高速道路の高架下を過ぎ、長津田駅方面へ通じるバス道を歩いた。天王神社は、このバス道から長い階段を登った所にあり、周囲の見晴らしもよい。ここから、尾根づたいの細い道を歩き続けると高野山真言宗の福泉寺に通じていた。
王子神社は明治維新の神佛分離令によって権現をとり、若一王子神社と改めて明治6年(1873)に長津田村の村社に列せられ村人の崇敬をあつめてきたが、昭和33年(1958)の狩野川台風によって社殿が損壊。昭和61年(1986)全額氏子並びに崇敬者の寄進によって、権現造りの立派な社殿の完成をみたものである。
大林寺は江戸時代初期、小田原北条氏の重臣であった岡野融成の嫡子、房恒が天正 19年(1591)長津田村を知行し、菩提寺として建てられた。境内には、旗本岡野家歴代の墓所(横浜市地域史跡)がある。さらに、八体守護佛(古来より日本で十二支とその方位を御守護下さる本尊佛)や「うしろめたさ」の石像など、他のお寺ではあまり見かけないものもある。
うしろめたさ
あのことだけは誰にも伝えない
このことだけは 死んでも伝えない
浄玻璃の鏡の前に立つまでは
秘めておきたし
あのこともこのことも。(みつを)