浜松城跡
(浜松城公園)

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mark浜松城跡(はままつじょうあと)
浜松城 天守
2011.6.18 徳川家康ゆかりの駿府城・浜松城
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 浜松城は徳川家康の関東移封(1590年)後、城主となった豊臣系の堀尾吉晴・忠氏父子によって大規模な改修が行われ、その後の大名によっても幾度か修築されている。天正年間(1573~92)にはほぼ完成したと推定される浜松城は、天守台から東に向かい、本丸・二の丸・三の丸としだいに低くなる梯郭式とよばれるものであった。また、天守が本丸ではなく天守曲輪と呼ばれる小さな曲輪に築かれたことが特徴である。

石垣
石垣
井戸
井戸

 石垣は見るからに荒々しく、外観は粗雑で一見崩れやすいように思えますが、4百年の風雪に耐え、いまなお当時の面影を残している。この石垣は野良積みといい、自然石を上下に組み合わせて積む方法で、慶長(1596~1615年)以前はこの方法が多く用いられていた。
 浜松城 天守には穴蔵と呼ばれる地階があり、その中央部には石組井戸がある。石組井戸とは穴のまわりを、石を積んで崩れないようにしたもので、この時代、他の城郭にも多く見られる。浜松城の他に名古屋城松江城などにも天守穴蔵に井戸がある。井戸は、城内に住む人々の飲料水として、また戦いの時には籠城になることも想定し、最後の拠点として天守内部や、天守の間近に設けらることがあった。

金小札沢潟二枚胴具足の鎧
金小札沢潟二枚胴具足の鎧
紺糸威黒鎧二枚胴具足の鎧
紺糸威黒鎧二枚胴具足の鎧

 金小札沢潟二枚胴具足の鎧は、江戸時代の大名などが着用した大鎧を忠実に複製した当世具足である。紺糸威黒鎧二枚胴具足の鎧は、徳川家の鎧を忠実に複製した当世具足である。

徳川家康公像
徳川家康公像
若き日の徳川家康公像制作順序
若き日の徳川家康公像制作順序

 徳川家康は、室町時代に築かれた引間城をさらに南西の丘陵地まで拡張し、遠江支配拠点の浜松城とした。家康は、元亀元年(1570)から17年間にわたる青壮年期をすごし、岡崎城から浜松城へ本拠を移したときに、引間という地名を「浜松」に改めたという。浜松在城中に姉川、長篠、小牧・長久手の戦いが行われた。

鎧掛けの松
鎧掛けの松

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