観光コース
札幌駅~坂本九思い出記念館~夕張鹿鳴館~夕張市内~札幌この地で社会参加への道を歩むハローの人々の生きる心の糧となる「記念館」。ハンディのある多くの人に生きる勇気と輝きをプレゼントしてくれた「九ちゃんの功績」とあの素晴らしい「笑顔の思い出」を長期保存の「記念館」である。
建物外観はカナダ杉を使った木造平屋建てで、建物面積は200㎡。九ちゃんにちなんで九角形の塔がシンボル。建物全体の平面は、9の字になっている。
売店コーナーでは、「サンデー九」の台本が第1回から最終回となった分まで保管され、そのビデオで九さんの活躍を忍ぶことができる。
坂本九さんは生前、STVテレビ「ふれあい広場サンデー九」に出演し、各地の福祉施設で様々なハンディに負けずに頑張っている仲間達を紹介し励まし続ける一方、チャリティコンサートを開くなど本道の福祉の問題に永年関わり、その啓発に大きな足跡を残した。
「「上を向いて歩こう」は坂本九さんが歌う原曲のまま、日本語のタイトルで昭和37年(1962)にフランスなど欧州で発売されたが、こちらは大ヒットには至らなかったという。米国での大ヒットは翌年昭和38年(1963)のことだ。ラジオ局のDJがかけてみると、リクエストが殺到。驚いたDJがキャピト・レコード社へ連絡した。同社が販売したレコードの曲名は「SUKIYAKI」だが、中身は坂本九さんの日本語の歌。この曲が、6月15日、ビルボード誌で1位になり、3週連続トップとなった。」(※)
北海道炭鉱汽船株式会社(北炭)が、全盛を極めた時代、北炭鹿の谷倶楽部として大正2年(1913)に建設され、昭和58年(1983)まで、主に当時の迎賓館のような施設として使用されてきた。敷地面積85,300㎡、延床面積約1,500㎡の木造平屋、当時の技術の粋を集めた、北海道では珍しい本格的和風建築である。
和室は昭和29年(1954)に天皇・皇后陛下がお越しの際に実際に使用したお部屋。全十五畳間の和室は、最も格式の高い和室であり、座敷飾り(床、違い棚、平等院)を備えて蟻壁を廻らし、十畳間境の欄間には鳳凰をあしらった透かし彫りが施されているのが特徴でいある。
「建物の配置は広い芝生に面して雁行形に並び、京都の二条城二の丸御殿や桂離宮に見られる大規模な和風住宅の形式にならって建てられている。
石油が登場するまでは、石炭は黒いダイヤと言われるように、主要エネルギー源として日本経済発展の基盤を支えてきた。夕張の歴史は石炭の歩みそのもので、夕張の繁栄は石炭産業によってもたされてきた。その一翼であった旧北海道炭鉱汽船が迎賓館「鹿の谷倶楽部」として「夕張迎賓館」を建てた。技術を結集した建物や芸術性高い内装装飾、調度品などはその価値の高さを誇るものである。」(※)
光の回廊はステンドグラスのランプ約150点を回廊に配置。日中は、光の入り方や強さによってステンドグラスが様々に変化し、きらきらと美しく輝く。
レストラン ミレディは、フレンチ一筋の増川シェフが地元と道内各地で採れた旬の食材を使い「夕張ならではのフレンチ」を味わうことができる。
夕張の魅力
(春)夕張の春は一斉に草木が芽吹く。中でもミズバショウのスポットは美しい。2015年に完成するシューバロダムは、湛水面積では日本で2番目に大きな人造湖となる。
(夏)高山植物の宝庫と言われる夕張岳。初夏を迎える頃に登ると、道々には可憐な花を付けたいろいろな植物が咲き、山頂近くの平地には黄色い花畑が広がっている。
(秋)山々に囲まれた夕張の一番美しい季節。寒暖の差があるので、黄や赤にはっきりした色の木々が紅葉する。特に滝の上公園の竜仙峡や千鳥ヶ滝は、大小の奇岩や滝、夕張川の水の流れと紅葉が絶景を奏でている。
(冬)レースイスキー場は千歳空港から一番近いスキーリゾートで、スキーやスノボードが楽しめる。
ホテル マウントレースイは、レースイスキー場の麓にありJR夕張駅に隣接しているリゾートホテル。スキーだけでなく、四季折々の魅力を体験できる。またレースイの湯も館内にある。
映画「幸福の黄色いハンカチ」(高倉健、桃井かおり)のロケ地。映画で登場した黄色いハンカチと炭鉱住宅をロケ当時のまま保存し公開している。住宅の中には、訪れた人たちが記念に書き記した黄色い紙が、壁一面に貼られている。
「北海道庁旧本庁舎は、明治19年(1886)、北海道庁の設置に伴って着工され、明治21年(1888)に完成した。塔頂部までの高さは33mで、現在の11階建てビルに相当し、当時は国内有数の建築物である。他府県とくらべても群をぬいた豪華な庁舎で、その豪華さは、明治16年(1883)に東京でたてられた鹿鳴館の建築費を上まわっていたことからもわかる。
設計は平井晴二郎を主任とした道庁技師が担当し、ネオ・バロック様式のレンガ造りで、建築資材のレンガ・硬石・木材は、北海道産のものを用いている。八角塔は人気があったが、これは当初の設計になかったもので、初代道庁長官岩村通俊の発案によりつけ加えられたといわれており、構造的に無理があったようである。そのため、明治29年(1896)に塔は撤去された。さらに明治42年(1909)には、原因不明の火災によって内部を焼失したが、赤レンガの壁に大きな損傷はなく、2年後には内装と屋根の復旧工事が完了した。」(※)
「時計台は農学校の演武場として、初代教頭クラーク博士が構想、第2代教頭ホイーラーが平面プランを作成し、開拓使の主席建築技術者安達善幸らの設計、監督により、明治11年(1878)10月校地の中央に建設されました。当初時計はついていませんでしたが、黒田清隆開拓長官の指示で時計をつけることとなり、明治14年、鐘楼を撤去し新たに時計塔を付設して時計機械を据え付けた。」(※)
時計台の時計機械は、鳩時計と同様の振り子時計で、動力にはおもりを使用し、原形のまま正確に作動している日本で最も古い塔時計。平成21年、日本機械学会より「機械遺産」第32号に認定された。
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