観光コース
熊谷駅(JR高崎線)~妻沼聖天山~熊谷駅(JR高崎線)聖天堂の正面として建てられた雄大規模の八脚門で、側面(妻側)に破風を三つ重ねた類似の少ない奇抜な形式に特徴がある。
総欅造の精緻なつくりに、多様な技法の彫刻で要所を飾るなど、江戸末期の造形芸術の粋が発揮されている。
斎藤実盛は平安時代末期の武将で、長井庄(熊谷市)を本拠とし長井別当と呼ばれる。「東国武士は親が死ねば親の屍を、子が死ねば子の屍を乗りこえて戦い、西国武士は親が死ねばしりぞいて供養し、子が討たれれば戦いをやめて嘆き悲しむ」といったという。
中門は懸魚の模様等に室町期の特徴をよく残し、寛文の大火で唯一残り聖天山の建造物群の中でも最古のものと言われる。
この作品は、実盛が73歳の時、加賀篠原の源平合戦に出陣するときの姿をモチーフにしたものである。
「妻沼聖天山は斎藤別当実盛公が、当地の庄司として、祖先伝来のご本尊聖天さまを治承3年(1179)にお祀りしたのに創まる。実盛公は平家物語、源平盛衰記や謡曲実盛、歌舞伎実盛物語などに、武勇に勝れ、義理人情に厚い人柄が称えられている。次いで実盛公の次男斎藤六実長が出家して阿請房良応となり、建久8年(1197)に本坊の歓喜院聖天を開創した。」(※)
※めぬまガイドボランティア「阿うんの会」の方から、聖天堂の案内をして貰いました。
【拝殿】
向拝には、左から「絵を見る子ども」、「碁を打つ人々」、「琴を弾く男」、「文字を読み書きする子ども」の琴棋書画の彫刻がはめ込まれている。
霊獣の龍は、中国の伝説によると、「鯉」→「鯱」→「飛龍」へと次第に変身した後、最後に「龍」へと出世・変身するといわれている。
本殿は、奥殿、中殿、拝殿よりなる廟形式権現造りで、奥殿は八棟造りである。建造物の各部材、各壁面を総て彫刻で装飾し、華麗な色彩が施されている。江戸中期の貴重な文化遺構である。平成24年(2012)には埼玉県の建築物として、初めて国宝に指定された。
【中殿】
金箔貼りの花頭窓は拝殿と奥殿を視覚的につなげ、彫刻・彩色が次第に増え始め、観る人を徐々に高揚させる、といった権現造りの特性がよく表現されている。
【奥殿南側】
左甚五郎の作と伝えられる「鷲に猿」は、谷川に落ちた猿を、鷲が助けている場面を表わすと伝えられている。
鳳凰(阿形)は、江戸彫りの小沢家初代・小沢五右衛門常信の作で、口を開けた「あ」形を表している。
三聖吸酸図は、中央に瓶を配し、孔子・ 釈迦・ 老子の三聖人が瓶に入った酢を舐めて、すっぱいと顔をしかめている様子を描いたものである。
子供たちの遊びや服装、周りの植物などから、春の季節を表現している。
【奥殿西側】
中央は三人の神様(七福神)が酒を飲みながら碁打ちに興じ、傍で子供たちが遊び戯れている様子である。
植物や遊びで夏の季節を表現している。
奥殿周囲三方を囲む高欄下には、12ヶ所・13頭もの猿が張り巡らされている。
【奥殿北側】
奥殿の建築は、幕府作事方棟梁として活躍した平内政信の子孫で、妻沼の工匠林兵庫正清の設計によって施工され、その子政正信に引く継がれ宝暦10年(1760)に仮屋根・安永8年(1779)に完成したものである。
鳳凰(吽形)は、南側の鳳凰(阿形)で一対となっている。
遊びによって、冬の季節が表現されている。
聖天堂に見られる70頭以上の龍の姿形・色は、全部異なっており、これも聖天堂の特徴といえる。
【見どころ】
妻沼聖天様の参道脇にあるお店で、いなりの油揚げはボリーム感がある。
【本坊本堂】
表面の主尊に、阿弥陀如来、脇侍に観音、勢至両菩薩を半浮き彫りにし、光背部に七化仏を配した所謂「善光寺式三尊像板碑」で通称「ひら仏」と呼ばれている。裏面には釈迦如来と文殊、普賢の両菩薩の種子が刻まれている。
本坊は、斎藤別当実盛公の次男阿請房良応僧都が、聖天行者の修行所として建立された。聖天様は秘仏であり、そのお姿は宇宙の真理、仏教の悟りをお示しになっている。
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熊谷駅(JR高崎線)~妻沼聖天山~熊谷駅(JR高崎線)