東京国立博物館の平成館では、興福寺中金堂再建記念特別展「運慶」が、期間:2017年10月11日(水)~11月26日(日)で開催された。
【彫刻】
江戸時代以前の日本の彫刻は、寺院や神社に安置された仏像、神像、肖像で占められている。
毘沙門天は四天王のうちの多聞天のことである。
大黒天は戦闘の神として怒りの表情を見せるものと、財福神として柔軟な表情のものとがある。
木喰は、全国各地を放浪しながら、千体仏の製作を決意して仏像を造り続けた僧侶である。
とぐろを巻いた蛇のからだに老人の顔をつける宇賀神を頭上にいただく弁財天像である。
阿弥陀如来坐像内の銘文から、丹波の有力者である源貞包夫婦が息災や安産を祈願して製作したことが分かる。
男神坐像の大将軍神は、平安京守護のためにまつられた方位神である。
不動明王は巻き髪で、左肩に弁髪を垂らし、右目を見開き、左目は眇める。右下牙で上唇を、左上牙で下唇を噛む姿である。
二天王立像の作者とされる快助は、少し素朴な作風や、邪鬼まで一材から刻み出す豪快な技法から、丹波の地方仏師と思われる。
【漆工】
平安時代から江戸時代に至る各時代の蒔絵作品を展示されている。
菊花紋散蒔絵手箱は、金の研出蒔絵で描いた一重咲きの菊花紋を散らしている。
扇散蒔絵手箱の扇面散らしの文様は、扇の変化に富んだ形や、扇面に描かれた画中画の面白さがある。
扇散蒔絵手箱の扇面散らしの文様は、扇の変化に富んだ形や、扇面に描かれた画中画の面白さがある。
柴垣蔦蒔絵硯箱は古満派の代表作として知られる硯箱。作者は古満休意の初代である。
角盥は室内の洗面や化粧に用いた手水道具である。
『古今和歌集』の有名な和歌、「みちのくのしのぶもぢずり誰ゆゑに みだれむと思ふ我ならなくに」を表現した硯箱である。
鞘の蒔絵は、徳島藩主蜂須賀家の御用蒔絵師、初代飯塚桃葉の手になるものである。
【金工】
古代・中世・近世と時代の流れに沿いながら、仏具・釜・鏡・七宝・錺金具・置物などの分類ごとに展示されている。
基壇の蓮弁上に輪宝をのせ、その上に五鈷杵を立て、円相内の蓮台に舎利を納めた火焔付き宝珠を置いた特異な形式の舎利容器である。
懸仏は御正体ともいい、鏡板と呼ばれる円形板に立体的につくった神仏像を取り付け、懸けられるようにしたものである。
金剛盤は金剛鈴・金剛杵を奉安する台である。
【刀剣】
平安時代から江戸時代に至る、各国の代表的な流派の刀剣、刀装具が展示されている。
来光包は京都の来国俊の門人で、近江国に住し、延暦寺の根本中堂で作刀したと伝えることから、中堂来光包と呼ばれている。
仙台国包は伊達家の抱工で、江戸時代を通じて代を重ねた。これは初代国包による刀である。
腰反りがついた鎌倉時代初期の姿を呈し、地鉄は、縮緬肌と呼ばれる杢目肌が細かく肌立った青江派独特のものとなっている。
国綱は、鎌倉時代中期の京・粟田口派を代表する名工で、相州鍛冶にも影響を与えたとも伝えられる。
本阿弥陀光室が来国光の作と極めたもので、板目が約んで冴えた地鉄に小足の交じった直刃を焼いている。
石田三成が所持したことにより、刀身には受け傷があることから、石田切込正宗とも称される。
【陶磁】
古代・中世、茶陶、京焼、伊万里、薩摩の茶陶が展示されている。
巴文大壺は中世古窯の一つ。珠洲(石川県)の壺である。
色絵牡丹文蓋物は、初期の柿右衛門様式と知ることのできる佳作である。
伊万里(柿右衛門様式)である。
【運慶の後継者たち―康円と善派を中心に】
鎌倉時代に活躍した仏師運慶に連なる一派を慶派)といい、なかでも運慶の孫にあたる康円は、当時の慶派を代表する仏師である。
地蔵菩薩立像の和服のように襟を合わせた衣を着ける姿は、親しみやすく、現実感をもたせる工夫として流行した。
蓮華唐草の透かし彫りが美しい光背も、製作当時のものである。下方には、迦陵頻伽という極楽浄土に住む鳥が表わされる。
康円作。文殊が乗る獅子は、力強く表現される一方で、愛嬌のある顔がほほえましい。
錫杖を手に、旅をするインド人僧として表わされる。
康円作。合掌し、文殊菩薩を振り返る姿の童子である。
于闐王とは、西域にあったホータン国の王を指すが、もともと獅子や童子と一揃いで表された異国風の人物に由来する。
康円作。大聖老人は頭巾を被る、老人の姿に表わされる。
康円作。東方天は四天王のそれぞれにともなう従者である。
康円作。南方天は、口先をとがらせ、ブーツの片方が破れるなど、ひときわ軽妙な表現が冴える。
文殊菩薩立像は眼尻を上げた涼やかな顔立ちや、衣の襞を明快に刻む彫法である。