散歩コース
外苑前駅(地下鉄銀座線)~日本オリンピックミュージアム~外苑前駅(地下鉄銀座線)今年(2019.9.14)、グランドオープンした日本オリンピックミュージアムを観覧した。
「フランス貴族の家に生まれたピエール・ド・クーベルタンは、軍人になることを期待されますが、教育の道にすすみました。そしてイギリスを訪れた時、スポーツが青少年を成長させる様子をみて心をうたれます。教育にスポーツを取り入れれば、心身の調和のとれた人間が育ち、やがて世界平和につながる。そう確信したのです、単なる競争・遊びだと考えられたスポーツを、教育と結びつける発想は、当時、画期的でした。その考えを実現させるため、クーベルタンは古代オリンピックを国際的な規模で読みがえらせ、世界に広げていきます。それが、近代オリンピックです。」(※)
「嘉納治五郎は柔道の創始者で、熱心な教育者でもありました。体育教育が心身を強くし、人びとの幸福につながると信じた嘉納は、日本に体育を広める一方、留学生を積極的に受け入れて海外へもその考えを伝えました。こうした信念は、「スポーツを通じて心身の調和のとれた青少年を育成し、世界平和の実現に貢献する」というオリンピックの考えと共通していました。やがて、嘉納はアジア初のIOC委員として、日本のオリンピック・ムーブメントを推進していくことになります。」(※)
昭和3年(1928)アムステルダムオリンピックで日本人初の金メダリストに輝いた陸上競技の織田幹雄さんの三段跳の記録「15.21m」を実際に体感できる舗装である。
天井は1964年東京オリンピックの際に参加各国・地域の選手団が母国から持ち寄った木の種から育った北海道遠軽町の展示材が使われている。
明治45年(1912)ストックホルム大会で、短距離走の三島弥彦とマラソンの金栗四三の2名が日本初、そしてアジア初のオリンピック出場を果たした。
1940年東京大会は、アジア初となる東京大会の開催が決定された。ところがその後、日中戦争が本格化し、大会開催を返上。1940年東京大会は「幻のオリンピック」となった。
アジア初の冬季オリンピック、札幌大会。開催にむけて札幌では、競技会場と街の中心部をつなぐ地下鉄が開通した。また、道路や地下街も整備され、街は一気に近代化をとげた。大会の後、札幌は人口を増やし、現在の大都市へと成長してきた。
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