今日の夕方、横浜市磯子区の高台にある松ノ内公園(関東の富士見百景)から、ダイヤモンド富士を撮影して来ました。富士山の山頂にドンピシャリに太陽が沈む、美しい光景が見られました!
天気予報では曇りから雨であったが、朝方には天気が回復する模様である。京急屏風浦駅からJR新杉田駅前を通り抜け富岡総合公園に向って歩いた。
かつて旧日本海軍の横浜航空隊が使用し、戦後米軍に接収されていた丘陵地を昭和49年(1974)に富岡総合公園としたもので、タブやヤマザクラなどの自然植生がよく残された三つの丘陵地で構成されている。最も高い場所はもと射撃場であったが、今ではアーチェリーとテニスコートになっている。
見晴らし台からは、近くにシーサイドタウンや横浜ベイサイドマリーナ、そして金沢の海が一望でき、天気のよい日にはつばさ橋、遠く木更津・君津市・富津市などの工場群や房総半島の山々を眺めることができる。
今日は「京急ウォーク」が行われており、直木三十五墓所の前では参加者の人がガイド(手前の人)の説明を熱心に聞いていた。
直木三十五(本名 植村宗一)は、昭和5年(1930)に代表作『南国太平記』を発表し、時代小説の第一人者として、大衆文学を質的に高めた。作品は時代・歴史小説をはじめ現代・未来小説にまでおよぶ。この大衆文学における、輝かしい功績を記念した、没後昭和10年(1935)に直木賞が設けられた。
長昌寺から富岡八幡公園へ通じる歩道には、赤・ピンク・白色のツツジが満開である。
シーサイドタウンのマンションが美しく見えるベンチで小休止をとる。好天気にも恵まれ、気温も高く初夏を感じさせる陽気である。
「長浜公園・野鳥観察園」にある大きな池は、明治28年(1895)長浜検疫所開設時につくられた船たまり(港)あとで、現在ある公園敷地のほとんどは海の中でした。昭和40年代後半になると金沢沖の埋立てがはじまり「長浜公園」は埋立事業当初より、計画的に公園として配置された。
公園の横の歩道には大きな八重桜の木が植えられており、花に近づいて写真を写す。ここから、金沢シーサイドラインの幸浦駅までは約15分で着いた。