飯盛山仁王院青蓮寺(真言宗)の開山は空海(弘法大師)、中興開山は善海といわれる。
「青蓮寺という寺号は、空海がこの地の裏山で護摩の秘法を修行しているときに、江の島弁財天から力を借りて修行を達成することができ、翌朝この地の池には、青色のハスの花が咲いたという故事にちなむ。」(※)
「別名『鎖大師』」呼ばれる由来は、本尊の木造弘法大師像(国重要文化財)の両足の関節が、鎖のような細工のため自在に動かさせるようになっていることにある。鎌倉時代後期の作品とみられる。」(※)
青蓮寺には江戸時代に2つの塔頭寺院があったと伝えられている。そのうちのひとつ、手広山寶積院薬王寺が境内に再建された。本尊は薬師如来である。
鎌倉街道(県道32号線)の手広交差点付近にあった地蔵尊で、「いぼ」が取れる伝えから「いぼ地蔵」とも呼ばれている。
境内には、不動明王像、石仏・石塔など多く置かれている。