海の男達の石崎奉燈祭
(能登キリコ祭り)

金沢駅~石崎奉燈祭~加賀屋
加賀屋~奥能登一周(輪島朝市・白米の千枚田・禄剛崎灯台・見附島)~加賀屋
加賀屋~ひがし茶屋街~兼六園~金沢駅
mark石崎奉燈祭(いっさきほうとうまつり)
七尾市石崎町
七尾市石崎町

 七尾市石崎町は、昔気質が今に残る活気あふれる漁師町。海の男達が一年に一度熱い血潮をたぎらせる祭りが石崎奉燈祭である。

石崎奉燈祭
石崎奉燈祭
石崎奉燈祭
石崎奉燈祭

 その昔石崎八幡神社の納涼祭(お涼み)で、京都祇園祭の流れを汲んだ山車が繰り出されていたが、度重なる大火に見舞われ中断を余儀なくされた。町の復興が整い始めた明治22年(1889)、山車に代わり、網すき(網大工)の口添えで奥能登から古い「キリコ」を移入して再興したものが現在に受け継がれている。大漁祈願、五穀豊穣はもとより、火を恐れ鎮める神事としたことから「奉燈」と呼び、平成7年(1995)まで京都祇園社の例祭日にあたる旧暦6月15日に行われていた。
 祭り当日、どこからともなく聞こえてくる祭囃子が祭り気分を盛り上げる。ねじり鉢巻に地下足袋を履き、きつく締めたサラシにお守りを携えた男達とそれを見守る女達。町中にはrサツカサイ、サカサツサイ、イヤサカサー」と威勢のいい掛け声が響き渡る中、奉燈が練り歩く様はまさに圧巻。なにしろ1基を100人程で担ぐのだから、その統制ぶりも見事。夜には奉燈に灯火が献じられ、浮かび上がった武者絵や大書の墨字が幻想的な空間を醸し出す。クライマックスの奉燈の乱舞競演では、担ぎ手、観客の興富は最高潮に達することだろう。

西一区奉燈
西一区奉燈

 いずれも漁師町らしく、群れをなしていた魚が網にかかり、銀色の鱗をきらきらと輝かせながら、網の中で勢いよく舞うように飛び跳ねる様を表しており、大漁を意味している。裏の絵は、ほとんどの奉燈が武者絵を多く使っているが、西一区は観音様を使うこともある。現在の観音様の絵は何代目なのか定かではないが、不思議とこの絵を使うと奉燈がよく動き、何年も破れずに使われている。

西二区奉燈
西二区奉燈

 めでたい雲が空を覆う兆しと言う意味で、漁師が多い西二区では、夜空が明るすぎると魚が逃げてしまうため、雲で月を覆うことで大漁を予感させる前兆と言う意味にも使われているようだ。また、裏の絵は、魚をもたらす神の恵比寿様や鯉仙人を使うことが多く、大漁を祈願している。また、西二区と西一区は今でも明治以前に使われていた呼称である中町、白崎と呼ばれることが多い。

東四区奉燈
東四区奉燈

 智仁勇とは史記に記述されており、智(知)は、是非・善悪を批判する能力を意味し、仁は悲しみや思いやり。勇は、勇気や気力、雄々しさを意味する言葉で、もっとも基本的な三つの徳のことである。過去に一度だけ翔龍舞と言う文字を使ったことがあるが、今では幻の文字となった。また、最初に青一色の武者絵を描き上げた町で、奉燈に見事に調和しも微妙なコントラストを生み出している。

東三区奉燈
東三区奉燈

 文字は、おそらく奉燈の欄間と呼ばれる部分な書かれた文字と対句と思われ、意味は、荒ぶることなく静かに志を遂げるよう願うこと、となる。昭和20年代から使用していることから、当時の世相を反映しているのではないかと考えられる。また、東三区と言えば、唯一法被の着用を禁止している町で、赤みを帯びた肌に町内カラーの赤パンツが見える。見事に統制された担ぎ手は必見。

東二区奉燈
東二区奉燈

 東二区の代名詞は、裏の絵に使われている浦島太郎。なぜ、浦島太郎なのかはわかないが、昔から使われている。ごく希に武者絵を使用するときもあるが、担ぎ手の話だと、なぜか浦島太郎以外の絵を使うと奉燈が重く感じたり、思うように動かないとのこと。また、同じ浦島太郎でも亀に乗った絵と玉手箱を開けた絵があるが、亀に乗っている浦島太郎の絵が一番評判が良い。

東一区奉燈
東一区奉燈

 文字通り魚が満ち溢れる海岸や浜辺を表し大漁を意味している。東一区の特徴は、奉燈が動き出す前に囃子と呼ばれる独特の祭囃子がある。昔はどの町の囃子にも使われていたが、現在は東一区と東二区だけが囃子を使っている。囃子の間、担ぎ手は体勢を保持したまま耐えたので足や腰に和当負わがかかった。また、東に神様の家と呼ばれる孫次郎の家があるため、堂前には東から順に入堂する。

石崎奉燈祭
2014.8.2 石崎奉燈祭(能登キリコ祭り)
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