散歩コース
池上駅(東急池上線)~丸子橋~浅間神社~多摩川台公園~自由が丘駅(東急田園都市線)初代丸子橋は、昭和9年(1934)に建設された。アーチ型の美しい形状を持つ橋梁で、現在の橋にもその景観イメージが継承されている。
「丸子の渡しは、沼部(現田園調布本町)と上丸子(川崎市中原区)とを結ぶ 多摩川の渡しで、古くは「まりこのわたし」ともいった。 渡し守子の「もりこ」がなまって「まりこ」となったともいわれる。
この付近は、すでに鎌倉時代の文書に「丸子荘」と記載されたり、また文明18年(1486)から19年にかけて、京都から東国方面へ旅行した際の記録である 「廻国雑記」に「東路のまりこの里に行かかり あしもやすめずいそぐ暮れかな」と詠まれた。」(※)
多摩川浅間神社は旧下沼部村の村社で、祭神は木花咲姫命、旧別当は東光院。多摩丘陵の南端部を形成する台地にある古墳上に祀られている。
「文治年間(1185-90)に初代将軍源頼朝は豊島郡滝野川松崎に出陣、北条政子は夫の身を案じてこの所まで着いた。彼女の自護本尊は富士吉田の浅間神社である。そこで富士山の遠望できるこの墳丘にのぼり、遙拝して夫の武運を念じ、持仏の聖観世音菩薩像を祀ったのが始まりと伝えられる。」(※)
展望台からの見晴らしも良く、丹沢山系の奥に富士山も見える
昔、多摩川の水をくみあげて、地域の飲み水を供給していた「調布浄水場」の跡地を利用して整備した公園になっている。
亀甲山古墳は、東京の前方後円墳の中で最も形がよく残っている。全長約100m・後円部直径約60m・高さ9mの規模で、5世紀前半の築造といわれ、武蔵国造の墓と推定する説もある。
多摩川古墳群は、八基からなる古墳時代後期の古墳群である。古墳群の南側には亀甲山古墳、北側には宝莱山古墳の二基の大型前方後円墳が築造されている。
宝莱山古墳は標高37.5m付近に築造された全長約97mの前方後円墳で、4世紀に築かれたこの地域最古のものである。
後円部に粘土槨らしい存在が認められ、彷製獣帯鏡、硬玉製勾玉、碧玉製紡錘車、同管玉、ガラス玉などが出土している。
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池上駅(東急池上線)~丸子橋~浅間神社~多摩川台公園~自由が丘駅(東急田園都市線)