横浜山手西洋館散歩
(ベーリック邸・外交官の家・ブラフ18番館)(石川町)

石川町駅(JR根岸線)~横浜山手西洋館~石川町駅(JR根岸線)
markベーリック・ホール
ベーリック・ホール
ベーリック・ホール

 イギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅として、昭和5年(1930)に設計された。第二次世界大戦前まで住宅として使用された後、昭和31年(1956)に遺族より宗教法人カトリック・マリア会に寄付された。

ベーリック・ホール
ベーリック・ホール
ベーリック・ホール
ベーリック・ホール

 B.R.ベリックの父、レッサー・ベリックとその兄弟(ジョセフとジョージ・バーナード)は明治元年(1868)ロンドンにて絹と紙の日英間輸出入会社ベリック・ブロザー商会を創設した。明治3年(1870)には横浜51番地にて開業。ロンドン生まれのB.R.ベリックは明治31年(1898)20歳で来日し、先代の後を継いで活躍した。

書斎(当時の主人寝室)
書斎(当時の主人寝室)
書斎
書斎

 大正9年(1920)には、横浜、神戸、東京、大阪に根拠を置き、ロンドン、パリ、ブリュッセル、ウィーンにある自社の根拠との貿易業務を営む。昭和5年(1930)に邸宅(現ベーリック・ホール)をJ.H.モーガンの設計により建てる。昭和13年(1938)60歳で家族と共にカナダ、バンクーバに移住し画家としても活躍し余生を過ごした。

夫人寝室
夫人寝室
出窓
出窓
markカトリック山手教会(カトリックやまてきょうかい)
カトリック山手教会
カトリック山手教会

 山手本通り(古道50選)のカトリック山手教会は、文久2年(1862)居留地80番にたてられた横浜天主堂を引きつぎ、横浜でももっとも古い起源をもつ。明治39年(1906)現在地に移されたが、当時は双塔がそびえるゴシック様式レンガ造りの教会堂で、「トンガリ耶蘇」とよばれて親しまれた。
 しかし関東大震災で崩壊し、昭和8年(1933)にチェコ人建築家J・J・スワガーの設計で・鉄筋コンクリート造りの現在の教会堂が完成した。現存する鐘は創建当初から伝えられ、半世紀以上山手の丘に音を響かせてきた。

マリア像
マリア像
マリア像
マリア像

 マリア像は明治元年(1868)にフランスから贈られたもので、かっては横浜天主堂の入口上部に揚げられていた貴重な文化財である。

mark外交官の家(がいこうかんのいえ)
外交官の家
外交官の家(旧内田家住宅)(国重要文化財)

 明治43年(1910)、東京の渋谷区南平台にたてられた外交官内田定槌の邸宅で、平成9年(1997)移築された。平面八角形の塔屋をもつ美しい建築で、国重要文化財に指定されている。設計者は立教学校(立教大学の前身)校長もつとめたJ・M・ガーディナーである。

小客間
小客間
小客間
小客間

 晩餐会の際、小客間は食事の用意を待ったり、食後のお茶の場となっていた。家族でいるときには、食後の団欒や憩いのひとときに用いられた。

大客間
大客間
出窓
出窓

 大客間は賓客を通す応接間にふさわしく全体に重厚に雰囲気を漂わせている中にも、孤を描いたランプや庭に丸く張り出した出窓(ベイウィンドウ)などが、訪れる人に柔らかな印象を与えている。

書斎
書斎
主寝室
主寝室

 書斎はアーチ型の入口や柱など、随所にさりげない装飾が見られる。造りつけ書棚の中に納められているのは、定槌の和洋の秘書の一部である。

小部屋
部屋
山手イタリア山庭園
山手イタリア山庭園

 山手イタリア山庭園はイタリアでは多く見られる庭園様式を模して、水から花壇を幾何学的に配したデザインの公園である。明治13年(1880)から明治19年(1886)までイタリア領事館がおかれたことから「イタリア山」と呼ばれているこの場所は、みなとみらい21区やベーブリッジ、晴れた日には富士山を一望することができる。

markブラフ18番館
ブラフ18番館
ブラフ18番館

 大正末期の建造で、カトリック山手教会の司祭館として長く親しまれたモルタル壁スペイン風の建築である。建物は木造2階建て、1・2階とも中廊下型の平面構成で、白い壁にフランス瓦の屋根、煙突は4つの暖炉を1つにまとめた合理的な造りとなっている。

ブラフ18番館
ブラフ18番館
100年前のピアノ(洋琴)
100年前のピアノ(洋琴)

 このピアノは、横浜市港北師岡町の村上邸で使用されていたもので、所有者のご厚意により、資料として提供していただいたものである。

100冊の絵本
100冊の絵本
こどものあとりえ展
こどものあとりえ展

 観覧室にある絵本は、(株)絵本館より寄贈されたものである。

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