かながわの古道50選

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馬車道通り
鎌倉街道(中ノ道)の下永谷市民の森付近 mark
鎌倉街道(中ノ道)の下永谷市民の森付近
横浜市港南区下永谷町~戸塚区上柏尾町
舞岡町より下永谷市民の森西端部を通り柏尾町と上柏尾町の境まで南北に古道が残る。

戸塚から鶴ヶ峰へ
東海道の生麦事件跡付近 mark
東海道の生麦事件跡付近
横浜市鶴見区生麦
ここで薩摩藩主の大名行列を馬に乗ったままで横切ろうとしたイギリス人一行が殺傷された。

鶴見から新子安へ
文明開花の道(馬車道) mark
文明開花の道(馬車道)
横浜市中区相生町他
江戸末期から明治初期にかけてかながわの”文明開化”を代表する道。

馬車道・日本大通り周辺
文明開化の道(海岸通り) mark
文明開化の道(海岸通り)
横浜市中区海岸通り
江戸末期から明治初期にかけてかながわの”文明開化”を代表する道。

馬車道・日本大通り周辺
文明開化の道(中華街) mark
文明開化の道(中華街)
横浜市中区相生町他
江戸末期から明治初期にかけてかながわの”文明開化”を代表する道。

関内から石川町へ
文明開化の道(山手本通り) mark
文明開化の道(山手本通り)
横浜市中区山手町
江戸末期から明治初期にかけてかながわの”文明開化”を代表する道。

横浜山手西洋館散歩
矢倉沢往還の溝口付近 mark
矢倉沢往還の溝口付近
川崎市高津区溝口
物流路であったといわれる。二子の渡しからねもじり坂にかけて蔵造りの商店などに往時をしのばせる。

東高根森林公園から等覚院へ
大師道 mark
大師道
川崎市川崎区大使町他
大師道は川崎宿、六郷の渡しから通じていた。道標(弘法大師の道)は、現在、境内に移されている。

川崎大師初詣で
朝比奈切通し
浦賀道の十三峠付近 mark
浦賀道の十三峠付近
横須賀市田浦泉町、長浦町
保土ヶ谷宿で東海道から分かれ、六浦から浦賀まで通じた。

田浦から衣笠へ
若宮大路 mark
若宮大路
鎌倉市小町~由比ガ浜
源頼朝が1182年に造営した鶴岡八幡宮の参道、由比ヶ浜へと一直線の延びる。鎌倉の都市建設もこの道を中心に行われた。

逗子から鎌倉へ
鎌倉の切り通し(極楽寺切通し) mark
鎌倉の切り通し(極楽寺切通し)
鎌倉市坂の下~極楽寺1
七口の切り通しは、鎌倉へ人と物との流入の急増に伴い整備された出入口であった。

北鎌倉から稲村ガ崎へ
鎌倉の切り通し(亀ヶ谷坂) mark
鎌倉の切り通し(亀ヶ谷坂)
鎌倉市扇ケ谷、山ノ内
七口の切り通しは、鎌倉へ人と物との流入の急増に伴い整備された出入口であった。

北鎌倉から鎌倉へ
鎌倉の切り通し(朝比奈切通し) mark
鎌倉の切り通し(朝比奈切通し)
鎌倉市十二所、横浜市金沢区
七口の切り通しは、鎌倉へ人と物との流入の急増に伴い整備された出入口であった。

瑞泉寺から朝比奈へ
鎌倉の切り通し(名越切通し) mark
鎌倉の切り通し(名越切通し)
鎌倉市大町7、逗子市小坪7
七口の切り通しは、鎌倉へ人と物との流入の急増に伴い整備された出入口であった。

逗子から鎌倉へ
古東海道の披露山公園付近 mark
古東海道の披露山公園付近
逗子市新宿
日本武尊が弟橘姫と共に通ったという伝説の道。走水へ向う古東海道の一部と推定されている。

立石から逗子へ
三崎道のなもた坂付近 mark
三崎道のなもた坂付近
三浦市三崎町小網代
この坂は、新井城後北条氏に攻められたとき、身重だった三浦道寸の側室が戦火を逃れてきた場所といわれる。

油壼から三崎口へ
順礼峠
当麻道 mark
当麻道
相模原市当麻
小田原城や鎌倉玉菜縄から武蔵・甲州へ行く要衝の地。戦国時代の典型的な宿場町といわれる。

飯盛山から原当麻へ
八王子街道の四ツ谷付近 mark
八王子街道の四ツ谷付近
座間市四ツ谷~座間1
江戸時代の宿場町の形態を残し庶民生活の昔をしのばせる。

かしわ台から海老名へ
大山(柏尾通り)の戸田の渡し mark
大山(柏尾通り)の戸田の渡し
海老名市門沢橋
安藤広重は戸田の渡しから見た大山を錦絵に残す。

伊勢原から門沢橋へ
居合坂付近 mark
居合坂付近
海老名市本郷
江戸時代の「大山道」。庶民の信仰を集める大山へ、お参りに行く旅人などは、戸塚下柏尾から東海道を離れ、この道を通り相模川を渡り大山へと向かっていた

門沢橋から海老名へ
巡礼往来の順礼峠付近 mark
巡礼往来の順礼峠付近
厚木市七沢
観音めぐりに利用された。順礼峠にさしかかった巡礼親子が盗人に殺されたという伝承が残る。

馬場リハビリ入口から飯盛山へ
大磯 東海道松並木
京鎌倉往還の旧相模川橋脚 mark
京鎌倉往還の旧相模川橋脚
茅ヶ崎市下町屋
中世、京都と鎌倉とを連絡した道。小出川の付近に旧相模川の陸脚が残る。

辻堂から平塚へ
鶴嶺八幡宮松並木付近 mark
鶴嶺八幡宮松並木付近
茅ヶ崎市浜之郷
東海道から鶴嶺八幡宮の参道には、昔ながらの松並木が残っている。

辻堂から平塚へ
日陰道 mark
日陰道
伊勢原市
源頼朝日向薬師参詣の際、家臣達が通った道といわれる。日陰になるので”日かげ側”という意味でこの名がついたといわれる。

ヤビツ峠から日向薬師へ
東海道の押切坂付近 mark
東海道の押切坂付近
二宮町山西
大磯宿と小田原宿との間の街道筋で、武士や商人たちの通行でにぎわいをみせたと思われる。

二宮から小田原へ
東海道の大磯松並木付近 mark
東海道の大磯松並木付近
大磯町東小磯
かっての東海道をしのばせる大きな松並木が大磯中学校から滄浪閣の間に続く。

平塚から二宮へ
江の島道の江の島・片瀬付近 mark
江の島道の江の島・片瀬付近
藤沢市江の島、片瀬、片瀬海岸
東海道遊行寺坂から江ノ島までの間には杉山検校の道標が残る。

藤沢から長谷へ
大山道の宿坊街付近 mark
大山道の宿坊街付近
伊勢原市大山
大山道の終点となる阿夫利神社への道。バス停大山ケーブルより追分駅まで土産屋、旅館が並ぶ。

大山ケーブルから久保へ
大山道の蓑毛付近 mark
大山道の蓑毛付近
秦野市蓑毛
大山への西からの参詣者は小田原宿からこの蓑毛道を利用して登ったといわれる。

大山ケーブル~久保
大山道(田村通り)の四つ谷 mark
大山道(田村通り)の四つ谷
藤沢市城南~寒川町一之宮~平塚市田村
東海道四ツ谷口より一宮を経て田村の渡しを渡り大山に至る。

湘南台から藤沢へ
田村の渡し付近 mark
田村の渡し付近
藤沢市城南~寒川町一之宮~平塚市田村
1946~1947年頃の様子が偲ばれる岩田寛氏の画「四之宮の渡し」には、砂利採取船、相模海軍工廠跡地の工場が渡し舟とともに描かれている。

寒川神社から平塚市総合公園へ
田村の渡し付近 mark
寒川神社参道
寒川町宮山
一之鳥居から境内南側に至る参道で松と桜の並木が道沿いに続く。天保10年(1839)の「相中留思記略」にも松並木が描かれている。

相模国一之宮「寒川神社」
大雄山最乗寺参道
足柄古道の足柄峠付近 mark
足柄古道の足柄峠付近
南足柄市足矢倉沢
京都・板東間の古道。大化の改新後、大和朝廷が箱根越えとして定めた道である。

仙石から地蔵堂へ
大雄山最乗寺参道 mark
大雄山最乗寺参道
南足柄市大雄町
樹齢500年をこえるスギの大木が茂り、仁王門付近からてんぐのこみちがある。

宮城野から最乗寺へ
足柄街道の松田惣領付近 mark
足柄街道の松田惣領付近
松田町松田惣領地内
奈良時代より利用された京都・板東間の官道で酒匂川を渡り、秦野方面に通じる街道であったといわれる。

新松田から富水へ
矢倉沢往還の篠窪付近 mark
矢倉沢往還の篠窪付近
大井町篠窪
富士見塚に、源頼朝が富士の巻狩に出かける際、馬を止める富士の眺望に見入ったという伝承が残る。

新松田から秦野へ
矢倉沢往還の吉田島付近 mark
矢倉沢往還の吉田島付近
開成町吉田島地先
矢倉沢往還は松田から十文字の渡しで開成吉田島に入り現在の南足柄市関本の人馬継立場に向った。

新松田から富水へ
箱根旧街道
箱根旧街道 mark
箱根旧街道
箱根町畑宿、元箱根
江戸時代の五街道の一つ。参勤交代の大名や人馬の往来が盛んであったといわれる。

元箱根から箱根湯本へ
関白道の一夜城址跡付近 mark
関白道の一夜城址跡付近
小田原市早川
天正18年豊臣秀吉による小田原攻めの時代から利用されていた道といわれる。

入生田から小田原へ
西海子小路 mark
西海子小路
小田原市南町
小田原城周辺にあった武家屋敷跡を通る道。当時の屋敷は姿を失ったが、一戸一戸のゆとりある広さや屋敷周りに当時の姿。

入生田~小田原
大山道の原宿付近 mark
大山道の原宿付近
城山町原宿、久保沢
古くから利用されていた道で江戸時代中期から、”大山道”として親しまれたといわれる。

橋本から小網へ

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