長興山シダレザクラ満開(入生田~小田原)

入生田駅(箱根登山鉄道)~長興山シダレザクラ~石垣山(太閤一夜城址)~西海子小路~小田原城~小田原駅(JR東海道線)
mark長興山のシダレザクラ(ちょうこうざん)

 小田原駅発の箱根登山鉄道の車内は、長興山のシダレザクラの花見客で満員だった。
 入生田駅から長興山のシダレザクラまでは、坂道を約20分上がる距離である。途中、春日局ゆかりの寺として知られる紹太寺がある。

入生田駅
入生田駅
紹太寺
紹太寺

 長興山紹太寺は小田原藩主稲葉美濃守正則が、父母の冥福を祈るため、京都宇治の万福寺から鉄牛和尚を招き開山として創建された。稲葉氏は元来美濃国の出身で、稲葉正成と春日局の間に生まれた正勝が、寛永9年(1632)小田原8万5000石を授封した。しかし正勝はまもなく没し、子正則が50年近く小田原を支配した。
 紹太寺ははじめ小田原宿山角町(現、小田原市南町)にあったが、寛文9年(1669)、子院清雲院の跡にたてられている。そこから稲葉一族の墓所まで約15分、鉄牛和尚の寿塔と枝垂れ桜まで約20分かかる。

長興山のシダレザクラ
長興山のシダレザクラ(花の名所100選)

 3月下旬から4月上旬にかけて、ソメイヨシノより一足早く濃い緑の樹を背景に開花する姿は、まことに美しく、県内に比類のない名木である。この桜が仮に植えられた年を紹太寺が移転してきた寛文9年(1669)とすれば樹齢は320年以上になる。

花見客
花見客
樹齢は320年の名木
樹齢は320年の名木

mark石垣山一夜城歴史公園(いしがきやまいちやじょうれきしこうえん)

 早川に架かる太閤橋を渡って石垣山に登る道に入り、入生田駅から約40分で石垣山一夜城歴史公園に着いた。

石垣山一夜城歴史公園
石垣山一夜城歴史公園(公園50選)
二の丸広場
二の丸広場(国史跡)

 石垣山は、小田原市早川集落の西北、箱根外輪山の東端に位置し、標高241mで、山頂には豊臣秀吉小田原北条氏を攻めるための本営として築かれた城の跡、太閤一夜城址がある。
 天正18年(1590)4月、箱根山を越えて湯本の早雲寺に本陣を置いた秀吉は、昼夜兼行で京都聚楽第や大坂城に劣らない築城を命じた。箱根外輪山の木をきり、近隣の岩山から石材を切り出すという勇壮果敢な工事が行われた。
 こうした秀吉の小田原攻めが、北条軍に与えた影響は大きく、それまで秀吉はたびたび降伏勧告をしてきたが、それに応じなかったさしもの北条氏も、この城が完成して間もない7月7日、ついに小田原城を明け渡し、滅びてしまった。

展望台
展望台(景勝50選)
遠くに相模湾
遠くに相模湾

 石垣山一夜城歴史公園から「関白道の一夜城跡付近」(古道50選)(豊臣秀吉による小田原攻めの頃から利用されていた道)の急な坂をJR早川駅に向って下った。道沿いには、秀吉の小田原攻めに従った8人の武将を紹介する看板が建っている。

石垣山に参陣した武将たち
石垣山に参陣した武将たち
関白道の一夜城跡付近
関白道の一夜城跡付近

mark西海子小路(さいかちこうじ)

 早川を渡り小田原城手前で、西海子小路を見つける。静かな住宅地の中、満開の桜トンネルが美しく輝いていた。

桜のトンネルが続く
西海子小路(古道50選)

 小田原城周辺にあった武家屋敷跡を通る道。当時の屋敷は姿を失ったが、一戸一戸のゆとりある広さや屋敷周りに当時の姿がしのばれる。この小路にサイカチ(ジャケツイバラ科の落葉髙木)が立っていたことが名称の由来という。春は桜並木が美しい。

mark小田原城(おだわらじょう)

 小田原城の桜も満開であった。観光バスや自家用車で訪れる観光客で、小田原城址公園は大変な混雑ぶりであった。

小田原城址公園
小田原城址公園(公園50選)
小田原城
小田原城(景勝50選)

インドゾウのウメ子
インドゾウのウメ子
桜満開
桜満開

 小田原動物園は、平成21年(2009)9月17日にインドゾウのウメ子が亡くなり、現在は、ニホンザルが飼育されている。
 小田原城は、五代北条氏直の時代には、城下町すべてを囲い込む、日本最大の城郭だった。北条氏が滅び、関東に徳川家康が入封すると、家康は股肱の臣の大久保忠世に小田原城を与えた。とはいえ、江戸の近くにこのような巨城があるのは、敵に占領された場合に危険であるため、家康はみずから出向いて小田原城の外郭を取り壊し、規模を縮小している。

二の丸隅櫓(再建)
二の丸隅櫓(再建)(国史跡)

 毎年5月3日に催される小田原市最大の観光イベント「小田原北条五代祭り」と、南入口付近にある御感の藤は花の名所としても知られている。

2014.4.5 小田原城の桜(花吹雪)youtube

⇒ 入生田~小田原周辺 ウォーキングマップ