本覚寺門前を流れる滑川にかかる夷堂橋(鎌倉十橋)は、その名は本覚寺の鎮守社の夷堂が近くにあったことに由来する。この辺りの滑川は、夷堂川と呼ばれる。
夷堂橋近くに本覚寺がある。本覚寺は眼病にご利益があると信じられ、地元の人々から”日朝さま”といわれいる。
本覚寺は日蓮宗、山号は妙厳山。鎌倉時代、ここには幕府の守護神を祀っていた天台宗の夷堂があった。この夷堂に配流地の佐渡から鎌倉へもとった日蓮が滞在したという。この夷堂跡を日出が永亨8年(1436)に日蓮宗に改め創建したのがはじまりという。
2世日朝が身延山から日蓮の遺骨を分骨し納めたことから、東身延と称して栄えた。
鐘楼の梵鐘は日出が上総木更津の八幡宮で法論で勝ち、持ち帰ったというもので「応永17(1410)年」の銘が記されている。
夷堂は元弘3年(1333)に新田義貞の鎌倉攻めのさいに焼失した。現在の夷堂は、昭和56年(1981)の再建で、恵比寿天は、鎌倉・江の島七福神の1つに数えられている。