日蓮上人が鎌倉で法華経を広める拠点として建長5年(1253)に開いた「松葉ヶ谷の草庵」の跡と伝えられる。この草庵は、日蓮に反感をもっていた鎌倉の僧侶や武士たちによって文応元年(1260)に焼き討ちされた。
護良親王の子日叡が正平12年(1357)に寺院を再興したのが妙法寺のおこりといわれている。寺号は日叡の房号の妙法房から、山号は日叡の幼名の楞厳丸から楞厳山といわれる。江戸時代後期肥後の大名細川氏がたでた本堂には、祖師日蓮像をはじめ仏像が安置されている。
大覚殿は中央に釈迦、左に妙法稲荷大明神、右にはかって熊本城天守閣に祀られていた細川家寄進の加藤清正公像を安置している。
当山の総門、仁王門、法華堂が朱塗りであるのは将軍家斉公を迎えるためであったと伝えられている。
朱塗りの仁王門を抜けると、奥に苔石段がある。
仁王門から法華経や釈迦堂跡へ上がる石段は美しい苔におおわれている。
日蓮は、草庵の跡に法華堂をたてたといわれる。