観光コース
千歳空港~登別温泉地獄谷は、日和山の噴火によって生じた爆裂火口の跡で、登別温泉の中心的な観光名所である。地表には小さな火口や噴気孔、湧出孔があり、ガスと高温の温泉が湧き出している。観光用の遊歩道が設けられており、散歩が可能である。
温泉街の一角に閻魔大王が安置されている。一日数回、定刻になると温厚な閻魔大王の顔が突如として真っ赤に染まり、目からは奇怪な光を放ち、鬼のごとし形相で裁判を行う。
第一滝本館は、安政5年(1858)滝本金蔵の妻への気持ちから始まった思いを今に受け継ぐお湯自慢の老舗旅館。7つの源泉を有する「温泉天国」の大浴場には大小35のバラエティーに富んだ浴槽があり、全てかけ流しで贅沢にご利用できる。
第一滝本館の中にある大きな金の金棒。金棒に指揮棒を持った小鬼がいるのですが、1日数回音楽が鳴り、金棒の下から 演奏している鬼や船に乗った桃太郎がでてきます。1回の演奏時間は約5分である。
洞爺カルデラ内にできた湖で、面積は日本で9番目、カルデラ湖としては屈斜路湖、支笏湖に次いで3番目の大きさである。東西11km、南北9km、周囲45km、最深183m、透明度17mの湖。女性的な印象から乙女の湖と言われている。湖に浮かぶ中島は、大島・観音島・弁天島・饅頭島の島からなり、豊かな原生林に包まれいる。
有珠山(733m)は、江戸時代に4回噴火し、明治時代以降も火山活動を続け、明治43年(1910)に明治新山、昭和18年(1943~45)にかけて昭和新山、1977年に有珠新山を形成した。最近では、平成12年(2000)3月に噴火している。
昭和新山の山麓には、その形成過程を克明に観察・記録し、のちに新山の荒廃を防ぐために土地ごと購入した三松正夫の業績を記念した三松正夫記念館がある。
「ホテルは、標高625メートルのポロモイ山の頂上にあり、東に洞爺湖、西に内浦湾を見下ろす立地である。ゴルフ場、スキー場、ウィンザースノービレッジなどが併設されている。また、スパ、プール、フィットネスやテニスコートなどがある。平成20年(2008)夏に開催の第34回主要国首脳会議(サミット)において、首脳会議開催会場に利用された。」(※)
中島公園は、豊平川とその支流鴨々川にはさまれた地域に広がる市営の都市公園である。鴨々中島とよばれていたが、明治18年(1885)、中島遊園地と公称され、明治44年(1911)に中島公園と改称された。
「中島公園内には、明治13年(1880)に開拓使の迎賓館・ホテルとして建設された豊平館がある。明治14年(1881)の明治天皇北海道行幸の行在所、明治44年(1911)皇太子(大正天皇)・大正11年(1922)摂政宮(昭和天皇)行啓の宿泊所ともなった。豊平館は当時の新聞によれば、「東京ノ鹿鳴館ノ如シ」とも評された。昭和33年(1958)に現在の中央区北1条西1丁目から、中島公園内に移築された。」(※)
平成9年(1997)、中島公園内遊園地施設「子供の国」跡地に北海道初の音楽専用の施設として開館した。ホール(大ホール・小ホール)、ギャラリーなどがあり、音楽の鑑賞その他音楽に関する活動の場を提供している。大ホールには、パイプオルガンが設置されている。
木下成太郎は、慶応元年(1865)但馬の国(現兵庫県北部)富岡藩家老の弥八郎の長男として生まれ、明治、大正、昭和にかけて、北海道に貢献した政治家。また、若い頃から美術にも深い理解を示し、現在の武蔵野美術大学、大東文化大学を創立するなど、芸術教育に力を注いだ人物です。
支笏湖は支笏洞爺国立公園に属するカルデラ湖で、長径13km、短径5kmのほぼ東西に長いマユ型をしている。シコツとはアイヌ語で「大きな窪地」という意味で、周囲は約40km、最大深度は約360m、千歳市の重要な観光スポットとなっている。また、日本で最もきれいな湖の1つで、日本最北の不凍湖としても知られている。
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千歳空港~登別温泉