名古屋市公会堂は昭和天皇の結婚記念として、昭和2年(1927)に起工し、昭和5年(1930)9月に完成した。第二次世界大戦中は、高射第二師団司令部として利用されていた。昭和55年(1980)に、市制90周年記念事業として大改修が行われた。
歴史は古く、明治38年(1905)に精進川(現在の新堀川)の改修工事ででた土地を埋め立ててつくり、明治43年(1910)には第10回関西府県連合共進会の会場になった。公園全体の設計は、東京の日比谷公園の設計者である本田静六と鈴木禎次である。中心部にある噴水塔とその東の奏楽堂は共進会当時の様子を伝える建物である。
噴水塔は、地下鉄鶴舞線の建設工事のため解体されたが、昭和53年(1978)に共進会当時の姿で復元された。
4月のさくら・チューリップまつりにはじまり、5月のつつじ・バラまつり、6月のしょうぶ・あじさいまつりまで続く「花まつり」や、秋の日本庭園の紅葉など、四季折々の花や樹木にふれることができる。
昭和3年(1928)、愛知県出身の内閣総理大臣であった加藤高明氏顕彰し、銅像建設会により同氏の銅像が建立された。同氏の銅像は、昭和19年(1944)に戦時物資の不足を理由に提供され、現在は台座だけが残されている。
「私立名古屋図書館跡は鶴舞中央図書館の前身で、大正2年(1913)に名古屋市教育会により設立された。建物は、明治43年(1910)の第10回関西府県連合共進会に帝室林野管理局が展示した林野別館を改造したものである。大正12年(1923)、市立名古屋図書館が鯱ヶ池畔に開館したが、これは大正天皇の御大典奉祝記念事業でした。私立名古屋図書館の蔵書はすべてこの新しい図書館に寄贈され、今も中央図書館に受け継がれている。」(※)
「鶴舞公園は昭和38年(1963)から始められた精進川(現、新堀川)開さく工事の土砂で造成されたものである。それ以前このあたり一帯は旧御御所村の田園地帯で、水田や大根畑でした。もともと灌がい用のため池であった竜ヶ池は、日本庭園の修景池として残されたものである。
竜ヶ池は水の豊富な池でしたが、まわりの下水道整備が進むにつれ補給水が減り、汚れが目立ってきた。そこで昭和30年(1955)、近くのビール工場とパイプで結び冷却水の余り水を引くことになった。池の落ち口は落差4mの「酒勾の滝」。名は当時の工場長酒勾常伸氏にちなんだもの。ビール工場は平成12年に閉鎖されたため、工場からの導水が途絶え、現在は池の水を利用した水景施設となっている。」(※)
桜は、さくら名所100選に選ばれている。