庶民信仰で知られる大須観音

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mark大須観音(おおすかんのん)
仁王門
仁王門
本堂
本堂

 正式には北野山真福寺宝生院という。建久年間(1190~99)に尾張国中島郡大須荘(現、岐阜市羽島市)に観音堂がたてられたことにはじまる。その後、元亨4年(1324)に観音堂は北野社の神宮寺となり、宝生坊とよばれるようになった。このころ能信上人が宝生坊の住持となり1寺を建立して真福寺と称した。

本堂
本堂

 大須観音は、その後いくたの変還があり、とりわけ洪水の難がたえなかったため、徳川家康が慶長17年(1612)、真福寺宝生院のみ名古屋の現在地に移した。明治中期に隣家からの火災で類焼し、第二次世界大戦で再度炎上したが、文庫は難を免れた。戦後、本堂と仁王門があいついで再建され、名古屋における庶民信仰の中心の1つとして復活した。日本三大観音の1つである。(浅草観音、大須観音、津観音)

普門殿
普門殿
花精の鐘(女人梵鐘)
花精の鐘(女人梵鐘)

 普門殿は十二支・干支の守り本尊様をお奉りするお堂である。
 花精の鐘
  女人梵鐘鳴り渡る 和む響きが身をつつむ
  万の人が助け合う 仏の教えの鐘が鳴る

 昭和41年(1966)よい子たちの成長を祈る「母の愛」の鐘として、地元婦人会を中心に、女人のみの寄進で女人梵鐘の銘のもと鋳造、四面の池の間には、杉本健吉画伯により、四季の花、梅、牡丹、蓮、菊の花の中心に、華の精の姿を描く。

大正琴発祥之地碑
大正琴発祥之地碑
人形供養塔
人形供養塔

 明治45年(1912)大須の住人森田五郎氏が八雲琴をもとにして、小型で手軽な二弦琴を作り上げた時に重陽の節句であったことから菊琴と名付けられた。この菊琴をさらに弾き易く改良されたものが現在の大正琴の原形といわれている。
 人形の歴史は古く、昔から幼児の遊びの友として、その子の分身のように愛されたもの。又誕生したわが子の、すこやかな成長を祈る「ひな祭り」「端午の節句」も、古くからの伝統行事ですが、そこに飾られる人形は、わが子に振りかかる災難や厄を、人形に転化身代わりとの祈りがこめられている。

芭蕉句碑
芭蕉句碑
弘法大師修行像
弘法大師修行像

 芭蕉句碑
  いざさらば 雪みにころぶ 所まで
 貞享4年(1687)に再度名古屋を訪れた際12月3日の夜、原町筋の当林風月堂にて、如行、有道、荷兮、野水と俳諧を催し、折からの雪にこの句を得て、堂主有道に書き与えたと言う。

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