鐘楼門は明善寺創建以来造られたもので、上層屋根裏は御光垂木の優美な茅葺き構造であり、茅葺きの鐘楼は合掌の本堂と相調和している。
本堂は今から約二百六十年前の延享5年(1748)創立。飛騨高山の国分寺の塔建立ゆかりの棟梁「水間字助」により木積まれ数年を要して建築された。
今からおよそ二百年前の徳川末期に、飛騨高山の棟梁大工と地方の棟梁大工と、正副棟梁が協和し3年間の工作で完成したものである。茅葺きの切妻屋根は雪を落とすなめ、60度に近い急勾配になっている。白川郷の五階建で合掌造りとして最大隋一の物である。
幕末から昭和初期にかけ、自川村では養蚕業が村の人々を支える基盤産業でした。屋根裏の大空間を有効活用するなめ小屋内を二~四層に分け、蚕の飼育場として使用していた。
浜田泰介は愛媛県宇和島出身の画家で、大覚寺の障壁画、醍醐寺の障壁画、東寺観智院書院襖絵、白川郷合掌明善寺本堂7点展示など、数多くの作品がある。
白川村の春は屋根の葺き替えと共にやってくる。秋に刈り取った茅(カリヤス)で広大な屋根面を葺きあげる。葺き替え作業は村民総出の「結」によっで行われ、百人~二百人の村民によって基本的に一日で葺き替えられる。
長瀬家の合掌づくりは五代目当主民之助により、明治23年(1890)に建立された。白川郷の自然に育まれた樹齢150~200年の天然檜や樹齢300~350年という栃、欅、桂等の巨木が使用されている。
「和田家住宅は、白川村荻町伝統的建造物群保存地区内の北部に位置し、西に面する主屋を中心にして、前方右手に便所、後方左手に土蔵が建つ。屋敷の周囲には、石組の消雪溝や池を配し、主屋の北側に屈曲する石組溝と池からなる庭園を設け、その北に石垣と防風林を備える。
和田家住宅は、合掌造り 民家として最大級の規模をもつ質の高い建築であり、式台付きの玄関を備えるなど格式の高い造りとなっており、世界遺産 白川郷の合掌造り集落を代表する民家である。」(※)